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神様のおはなし(神々の事典)(記=古事記、紀=日本書紀) |
記紀(きき) |
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現存する日本の最古の書物である歴史書の『古事記』と『日本書紀』とを併せて呼ぶ略称。
記紀以前の六世紀の中頃の欽明天皇の時代に言い伝えを基にして日本の歴史を纏めた帝紀(帝皇日継)、旧辞(本辞、先代旧辞)等と呼ばれる書物が作られたが現存しない。
帝紀は天皇家の系図を主題としたもの、旧辞は天皇家に伝わる伝説、説話、歌物語であったらしい。七世紀初頭の推古天皇の時代にも聖徳太子と蘇我馬子が天皇記・国記等の歴史書の編纂を始めたが、これも現存しない。七世紀後半、壬申の乱(672)によって皇位についた天武夫皇はこうした歴史編纂の試みを継承した。各種の帝紀、旧辞を統合、修正して、歴史の定本を作ろうとした。この事業は存命中には完成をみなかったが、それを基礎として三、四十年後に記紀が完成した。 |
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古事記(こじき) |
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記は元明天皇の和銅五年(711)に撰上された。現存する最古の写本は南北朝時代に成った真福寺本。古くは「ふることぶみ」とも呼ばれ、古の事(辞)を記した書物という意味。選録したのは太安万侶である。天武天皇が選録させ、舎人の稗田阿礼に誦習させていた帝紀と旧辞とを、元明女帝の命により安万侶が筆記したものである。
本質的には歴史ではなく神話であり、天皇家の縁起として編纂されたと考えられる。大和言葉による口承神話を神話言語が内包する言霊を損なわずに外来文字である漢字を用いて表記するには困難が多かったようである。
構成は三巻から成り、上巻は神代を扱い、中、下巻は人代の皇統譜として記完成の約一世紀前の第三十三代の推古天皇の三十六年(628)までの出来事を述べる。下巻になると天皇の代替りごとの物語である。 |
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日本書紀(にほんしょき) |
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紀は元正天皇の養老四年(720)に撰上された。現存の最古の写本は奈良時代末期から平安時代初期の四天王寺本。律令政府の公的事業として天武十年(681)から三九年をかけて天武天皇の第三皇子舎人親王以下多くの官僚や史官が完成させた日本最初の正史である。漢文で書かれ中国の古典と歴史書からの多くの引用が含まれる。資料とされた漢籍は『魏史』、『史記』、『漢書』、『後漢書』、『文選』等であり、唐の文章百科事典『芸分類聚』が効果的に利用されたらしい。
記に続く正史として『日本紀』と呼ばれ、「紀」は編年体の歴史を意味し、年代順の記述であるから「紀」の字をもちいている。三十巻のうち、最初の二巻では神代を扱い、以下の巻で第四十一代持統天皇までの出来事を記す。最後の二十八巻から三十巻にかけては壬甲の乱を始め最も新しい時期の二十年を扱っている。その後に『続日本紀』以下の正史が編纂された。 |
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高天原(たかまのはら) |
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たかまがはらとも読む。語義は高位、天上にある広大な世界のこと。神々が居住し、天照大御神の支配する処の意。神道の垂直三元的世界観のひとつで、根の下国 (黄泉)、葦原の中国 (現世)に対する上国のこと。単に天、天の原とも云う。 |
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天つ神・国つ神(あまつかみ・くにつかみ) |
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一般的には、天つ神とは高天原に存在する神や、高天原に生まれ、この国に降りてきた神々のことである。国つ神は大別して、この国で生まれた神を指す場合と、天孫降臨以前にこの国に存在していた精霊や豪族を指す場合とがあり、ときには地祇と同一視される。
天つ神は天神、皇天、上帝、天津神。国つ神は国神、国津神等と表記される。「記」では天之御中主神、高御産巣日神、神御産巣日神(以上、造化三神)、宇麻志阿斯訶備比古遅神、天常立神を天上に存在する神として区別し、別天神と呼んでいる。すべて独神で生成した後身を隠した。 |
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味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ) |
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「紀」では味耜高彦根神、「記」では阿遅鉏高日子根神、または迦毛大御神などとある。「記」では、大国主神と多紀理毘売命(田霧姫命)の間の子である。
皇祖の高皇産霊尊が葦原中つ国に遣わし、復命しなかったために殺された天稚彦(あめわかひこ)の喪に列した時のことである。この神と天椎彦の容貌が似ていたため、天稚彦の父や妻が死者と間違い、味相高彦根神が怒って喪屋(もや)を切り伏せ飛び去ったとの話がある。雷神であろう。
(神代下 葦原中つ国の平定) |
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天照大神(あまてらすおおみかみ) |
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「紀」によれば、大日孁貴(おおひるめのむち)、天照大神、大日孁尊(おおひるめのみこと)、「記」では、天照大御神(あまてらすおおみかみ)などと呼ばれる。太陽神にして、天皇家の祖先神という性格の神である。
「紀」本文によれば、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)が、世界創造の最後に天下の主者(きみたるもの)として産んだとされ、「記」や「紀」の一書では、伊弉諾尊が、みそぎで左目を洗った時に生まれたとされる。一緒に生まれたのが、月読尊(つくよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)である。この神は、素戔嗚尊との誓約(うけひ)、国譲りの神話など多くの神話に登場する。特に、弟の素戔嗚尊の乱暴に怒って天の岩屋に隠れ常闇(とこやみ)になったという天の岩戸の神話は、宮廷の鎮魂祭との関係がうかがえ、興味深い所である。天照大神の孫が、葦原中つ国の主として天下る瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) である。
「紀」によれば、最初宮廷に祭られていたが垂仁天皇の時代に伊勢神宮に移されたとされる。(神代上 垂仁天皇二十五年条) |
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天鈿女命(あめのうずめのみこと) |
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猿女君(さるめのきみ)の祖先神である女神。「紀」には天鈿女命、「記」には、天宇受賣命とある。
天照大神が天岩戸に隠れられた時、乳房や陰部もあらわに神懸かりになって踊り、天照大神を引き出すのに成功する。
さらに、「紀」の一書と「記」において、天孫降臨の時に、五部神の一神として、瓊瓊杵尊に従い、猿田彦神と問答を交し、参上の由来を明らかにしている。これが、末裔の猿女君を名乗る理由である。土着のシャーマンが猿女君として宮廷神事に参加するようになった歴史が、これらの話には、反映しているのであろう。(神代上 天の岩屋 神代下 葦原中つ国の平定) |
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天忍日命(あめのおしひのみこと) |
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「紀」の一書や「記」で、天孫降臨の時、瓊瓊杵尊に従ったとされる大伴氏の祖先神である。大刀や弓矢で武装した姿が説明されている。一緒に下ったとして、久米氏の祖先神、天津久米命(「紀」では天木患津大来目) の名前が挙げられる。「記」では対等のこの二神が「紀」では、天忍日命が天津久米命を率いたとされている。(神代下 葦原中つ国の平定) |
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天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと) |
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「紀」には、正哉吾勝勝速日天忍耳命、「記」には正勝吾勝勝速日天忍穂耳命などとある。天照大神の子で、天孫降臨の主人公となる瓊瓊杵尊の父である。
天照大神と素戔嗚尊の誓約の時に、天照大神の御統(首飾)から生まれた五柱の男神のうちの一柱である。
「記」によれば、最初、この神を地上に下そうとしたが、子の瓊瓊杵尊が生まれたので変えたとされる。(神代上、下) |
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天兒屋命(あめのこやねのみこと) |
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「記紀」で活躍する中臣氏(藤原氏)の祖先神。
天の岩戸では、隠れた天照大神を引き出すための祝詞を読み上げ、天孫降臨の時には、五部神の一神として瓊瓊杵尊に従っている。
祭司を掌る中臣氏が勢力を伸ばすにつれて有力な神となり、中臣(藤原)鎌足の時代からは、祖先神として大切にされている。
(神代上 天の石屋戸神代下 葦原中つ国の平定) |
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天手力男神(あめのたじからおのかみ) |
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手の力を意味する神で手力雄神とも記す。天岩戸神話において思兼神の策謀により、長鳴鳥を集めて鳴かせ、祝詞をあげて天細女命が俳優したとき岩屋の戸を細く開けて外を伺った天照大神の手を取って引き出された神である。また、天孫降臨の際に随従して伊勢の佐那県に鎮座する神である。 |
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天常立尊(あめのとこたちのみこと) |
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「紀」では天常立尊、「記」 では、天之常立尊(あめのとこたちのみこと)とある。
「記」冒頭の別天(ことあまつ)神五柱のうちの最後の一柱である。「紀」 の神代紀主文には、この神の名前は見えず、一書(第六の一書) において、世界化成の最初に現れる神とされる。
高天の原にいつまでもとどまっている神という意味であろう。(神代上 天地開闢) |
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天穂日命(あめのはひのみこと) |
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出雲国造(いずものくにのみやつこ)の祖神とされる。「紀」においては天穂日命、「記」では天之菩卑能命とある。
素戔嗚尊が天に昇り、天照大神と誓約(うけひ)をした時、素戔嗚尊が生んだ男神五神のうちの一神である。
葦原中つ国の平定で、高皇産霊尊が最初に送った神であるが、大国主神にへつらってしまい、三年経っても復命しなかった。そのため、次の使者が立てられるのだが、『出雲国造神賀詞』(いずものくにのみやつこかむよごと)には、復命したとする別伝が残っている。(神代上 素戔嗚尊の誓約、神代下 葦原中つ国の平定) |
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天御中主神(あまのみなかぬしのかみ) |
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「記」の冒頭に出現する神。高天の原の中心の神という意味と考えられる。「妃」本文に、この神の名はなく、一書にのみ名前が見える。しかも、その後の活躍はない。元々あった神ではなく、「記紀」が作られる以前ではあるが、かなり後になって考え出された神であろうと考えられている。
『古事記』で最初に所成した神を、天之御中主神という。本居宣長はその名義について、「天真中に坐々して、世ノ中の宇斯たる神と申す意」とするが、天を主宰する重要な神であるが、その活躍は「記紀」に全然語られていない。
古来、この点が問題とされ、この神は日本に古くから信仰的基盤をもつ神ではなく、中国の道教思想の影響による観念的な神であるとする説が有力である。『史記』天宮書によれば、中央の宮にあたる北極星は太一の常居であり、一族や重臣がそれに従う形で紫宮に住んでいるという。その中心たる太一は、北極星の別名とも注され、『晋書』天文志などでいう天皇大帝と、後世同一視される。そして天皇大帝が道教の最高神、元始天尊の別名となるに至り、道教的天上観を踏まえて成立したのが天之御中主神ということになる。
最近では高御産巣日神にも同様の神格が指摘され、紫宮、紫微宮、紫微垣が『古事記』の高天原にあったとする説も提出されている。(神代上 天地開闢) |
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天椎彦(あめわかひこ) |
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「紀」では、天稚彦、「記」では、天若日子。葦原中つ国の平定のために高皇産霊尊に遭わされた二度日の使者である。しかし大国主神の娘の下照姫と結婚し、復奏しない。更に、成りゆきを問いに遭わされた雉を、天羽羽矢(あまのははや)で射殺してしまうため、その返し矢で、逆に殺されてしまったとされる。この神話の背景には、豊饒祈願の儀礼があると考えられる。(神代下 葦原中つ国の平定) |
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伊弉諾尊(いざなぎのみこと) |
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「紀」では伊弉諾専、「記」では、伊邪那岐命と記す。伊弉冉尊(女神)と共に、「記紀」神話で、神代七代の最後に出現する男神である。国土創造神であり、伊弉冉尊と共に、日本の全土を生んだ(国生み)神である。
「紀」本文では、その後、天照大神をはじめ、海や山の神々を生んだとされる。「紀」 の一書や「記」では、少し異なった伝承を伝えている。
伊弉諾尊、伊弉冉尊は淡路島の海人が信仰した神であったらしいが、「記紀」神話の中では、重要で複雑な性格の神となっている。(神代上) |
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伊弉冉尊(いざなみのみこと) |
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「記」では、伊邪那美命と記す。伊弉諾尊(男神)と共に国土や神々を生んだ女神である。
「記」や「紀」の一書では、伊弉冉尊は、軻遇突智命(火の神)を産んだ時の火傷が原因で死んでしまい、伊弉諾尊が黄泉の国へ伊弉冉尊を訪問するという話になっている。
しかし、伊弉諾尊が約束を破った事を原因として二神は仲違いをしてしまう。
「記」などでは、黄泉から還った伊弉諾尊が身を清めた時に、天照大神などの神々が生まれたという話になっている。(神代上) |
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五十猛命(い(そ)たけるのみこと) |
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記では大屋毘古神(別名)と記し、素戔嗚尊の御子神として父神とともに樹種を持ち新羅国に降臨するが、そこでは植えずに持ち帰り、筑紫より始めて大八州国に植林して国中を青山と成した。また、兄弟神達に追われた大己貴神をかばって、根国の素戔嗚尊のもとへと逃がした神であり、韓国伊太氐神(射楯神)とも称される。 |
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市杵嶋姫命(いつきしまひめのみこと) |
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「紀」には、市杵嶋姫命、市寸島比売命、狭依毘売命とある。素戔嗚尊が天上に入り、自らの心を示すため、天照大神と誓約を行う。この時、天照大神が、素戔嗚尊の剣から生んだ三女神の一柱である。この三女神が、福岡県の宗像大社(むなかた)に祭られる宗像三神であるが、市杵嶋姫命は、広島の厳島神社にも祭られている。(神代上) |
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保食神(うけもちのかみ) |
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「紀」の一書に登場する、食物を掌る神。月読尊を接待するのに、ロから吐き出した山海の産物を供えたため、月読尊が怒って殺してしまう。この神の死体から五穀をはじめ、魚や獣、家畜、蚕などが生まれたとする。「記」 にも、同様の話があるが、須佐之男命が大気津比売神を殺し、大気津比売の体から五穀が生ったというように、登場人物が変わっている。(神代上 四神出生「記」では、天照大神と須佐之男命) |
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可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこじのみこと) |
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天地開闢の時に、別天つ神の一柱として生れる独神。「記」では、宇摩志阿斯軻備比古遅神と記す。
この時生まれる神名は、「紀」 において、一事として諸説があるが、この神名は、葦の芽ということで、最初の生命の出現を示していると考えられる。(神代上 天地開聞) |
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大己貴神(おおあなむちのかみ) |
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因幡の白兎の神話などで有名な大国主神である。
「紀」本文では大己貴神、「記」では大国主神、大穴牟遅神などと記す。
土着の神々(国津神)の代表として、国譲りにおいて、国土を高天の原の神々に譲った神である。多くの神が統合され、複雑な性格を持ち、「記」によれば、多くの試錬の末に須佐之男命の娘、須勢理毘売(すせりびめ)を妻とし、少彦名命(すくなひこなのみこと)と共に国作りを行い、出雲地方を舞台に展開し、やがて高天の原からの使者が訪れるに及んで、国土を献上する。
また、兵主神は大己貴神とも見られ、八千矛神(別名)に由来し、武を掌る神名である。(神代上 大己貴神の国作り、神代下 葦原中つ国の平定) |
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大山祇神(おおやまつみのかみ) |
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「記」では、大山津見神。国つ神の一神、山神である。
「記」では、須佐之男命に八岐大蛇退治を頼む足名椎(あしなつち)手名椎(てなつち)の親、更に邇邇芸命(ににぎのみこと)が見染める木花之佐久夜比売の親である。
「紀」では、八岐大蛇の部分では名前が見えず、木花開耶姫の母として名前が挙がる。元来女神であったものが、男神となったのであろう。(神代下 葦原中つ国の平定) |
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大綿津見神(おおわたつみのかみ) |
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「紀」には、海神(わたつみ)、海神豊玉彦(わたつみとよたまひこ)、「記」では、綿津見神などとある。綿津見は海持ちの意味。上(表)、中、底はそれぞれ海の海面・海中・海底を表す。
彦火火出見尊(ひこはほでみのみこと)(山幸彦)が失くした兄の釣針を探しに訪れる海の宮の神である。娘が豊玉姫。海の霊として、農業の水まで支配する神と考えられている。
この神の娘と山幸彦の結婚は、天つ神と国つ神の聖なる婚姻を意味している。(神代下 山幸彦・海幸彦と豊玉姫) |
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軻遇突智命(かぐつちのみこと) |
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火の神である。「紀」の一書、また「記」において、伊弉冉尊は、この火神を生んだ火傷がもとで命を落としている。
「記」では、火之夜芸速男神(ひのやぎはやおのかみ)、火之迦具士神と記す。
伊弉諾尊は、妻の死を悲しみ、軻遇突智を斬るが、その刃から滴る血から武甕雷神などの、剣や雷の神が生まれた。(神代上 三貴子の誕生) |
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神皇産霊尊(かみむすひのみこと) |
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「紀」の一書、「記」で、天地のはじめに出現した別天つ神五柱のうちの一神。「記」には神産巣日神とある。
高皇産霊尊と共に出現するが、神皇産霊尊は、これ以降働きを見せない。高皇産霊尊に合わせ、形式的に加えられた神だと見られている。(神代上 天地開闢) |
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奇稲田姫(くしいなだひめ) |
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「記」には、櫛名田比売とある。足名椎、手名椎の娘である。
危く、八岐大蛇に呑まれるところを、天上から追放され、ちょうど出雲の地を通りかかった須佐之男命によって櫛に変えられ、助けられる。
須佐之男命が計略により八岐大蛇を倒した後、出雲の須賀の宮に居を構えた須佐之男命の妻となる。水田の豊かな稔りを表した名だと思われる。(神代上 八岐大蛇退治) |
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国常立尊(くにのとこたちのみこと) |
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「記紀」神話の冒頭、天地開闢に出現する神。天常立尊と対称的な神格である。
「紀」では、一番最初に出現する男性神で、国常立尊とか国底立尊と記す。「記」では、別天つ神五柱の後に出現する独神である。
国土の根源神という意味であろう。重要な神だったらしく天地開闢を記す、「紀」の六つの一書すべてに登場するのは、この神のみである。(神代上 天地開闢) |
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事代主神(ことしろぬしのかみ) |
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「記紀」神話に出てくる国つ神。「記」には、八重事代主神とある。大己貴神(大国主神)の子。国譲り神話において、大己貴神は、子である事代主神が、天つ神の言葉に従うという返答するのを確認してから国譲りする。
神名の語義は、於天事代於虚事代玉籤入彦厳之事代主神「紀」の尊号に示される通り天地の全ての物事を先まで見とおされる神で、天皇を守る宣託の神として宮中八神殿に祀られる。
「紀」においては、神武天皇の妃として綏靖天皇を生んだ女の父としている。(神代下 葦原中つ国の平定 神武天皇即位前紀) |
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五男三女神(ごなんさんじょしん) |
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天照大神と素戔嗚尊の誓約で生まれた五柱の男神と三柱の女神である。三女神は天照大神が素戔嗚尊の十拳釼を三段に折り、天の真名井に振りすすぎ、噛みに噛んで吹き棄てた息吹より成った多紀理昆売命、市杵嶋姫命、多岐都比売命を指し、海洋の三女神である。
五男神は素戔嗚尊が天照大神の御統珠を貰い受け、同じく噛みくだいた息吹より成る。左の角髪に巻いた珠から生まれた天忍穂耳命、右の角髪の珠から生まれた天穂日命、髪飾りから天津日子根命、左手に巻いた珠から活津日子根命、右手の珠から熊野久須毘命が生まれた。太陽や稲に因む神名である。 |
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木花開耶姫(このはなさくやひめ) |
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「紀」では、またの名を鹿葦津姫、「記」では、神阿多都比売(かむあたつひめ)、木花之佐久夜比売。瓊瓊杵尊が見染めた美姫である。木花は桜の花のことである。
一夜の契りで懐妊したのを瓊瓊杵尊に疑われ怒って出口のない室に火を放ち火中で火明命(ほあかりのみこと)ら三神を生んだ。
「記」また「紀」の一書では、大山祇神は、姉の磐長姫も共に献じたが、姉だけが返されたとし、これが天皇の命が短くなった由来談になっている。(神代下 葦原中つ国の平定) |
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猿田彦大神(さるたひこのおおかみ) |
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「紀」に猿田彦大神、「記」では、猿田毘古神(さるたびこのかみ)とある。「紀」の一書によれば、鼻が長く、目が赤くほおづきのように輝いているという。葦原中つ国に下った瓊瓊杵尊の前に出現する異形の神である。
天鈿女命(あめのうずめのみこと)の問いにより、皇孫の先導にやってきたと判明する。
滑稽味のある猿田彦大神とシャーマン的な天鈿女命の話には、この神々を奉じる伊勢の海人族(猿女君)の服属の経緯が織り込まれていると見られる。(神代下 葦原中つ国の平定) |
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少彦名命(すくなひこなのみこと) |
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「紀」では高皇産霊尊の子で少彦名命、「記」では、神産巣日神の子、少名昆古那神と記される。小人神であり、大国主神と共に語られることが多い。穀霊的神格と同時に常世神的な神である。
「記」によれば、波の間より羅摩船(かがみぶね)(ががいものさやのふね) に乗って現われ、大国主神と協力して国作りを行い、やがて常世国に去ったとされる。
「記紀」以外にも、『風土記』『万葉集』 によく登場する神である。(神代上 大己貴神の国作り) |
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素戔鳴尊(すさのおのみこと) |
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「記紀」神話で高天原と出雲双方で活躍する複雑な性格を持つ英雄神である。
「記」には、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)などとある。伊弉諾尊から天照大神などと共に生まれた三貴子の一神である。
海原「記」の支配者とされながら、乱暴な行いが多く、ついに天上から根国に追放される。
天下った地上の葦原中つ国の出雲では、八岐大蛇を退治する英雄神であり、発言に「勅」の字が用いられるように統治する神として描かれる。やがて子孫とされる大己貴尊に試練を与え、大己貴尊の王たる資格を認定する神ともなる。(神代上) |
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高皇産霊尊(たかみむすひのみこと) |
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「紀」の一書、また『古事記』で、天地のはじめに出現した神。
「記」には高御産巣日神や高木神とある。皇祖(天皇の祖先神)として重視されている。
この神が活躍するのは、葦原中つ国の平定のところで、この時は天上の主宰神として、中つ国に下す使者などを選んでいる。「記」においては、これは、天照大神との共同作業となっている。
逆に、神武東征の時に、神剣や八咫烏を遭わすのは、「紀」では天照大神であるが、「記」では天照大神と高木神の共同作業とされる。(神代上 神武即位前紀) |
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武甕槌(雷)神(たけみかづちのかみ) |
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「紀」の一書、また、「記」において、火神軻遇突智を伊弉諾尊が斬った時、流れた血より生れた雷と刀の神。「記」では、建御雷之男神とか建布都神などとある。
葦原中つ国の平定において、地に剣を突き立て、大己貴神に最終的に国譲りを迫る神である。更に、神武天皇が東征の途上、困難に直面した時には、自分の剣、「音霊」(ふつのみたま)を下して助けている。(神代上 神武即位前紀) |
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玉依姫(たまよりひめ) |
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古代の巫女を示す言葉だと思われるが、「記紀」神話で有名なのは、神武天皇の母の玉依姫である。
「記」では玉依毘売命と記す。海神の娘、豊玉姫は、産屋を彦火火出見尊に覗かれたことを怒り、海へ帰る。そして、豊玉姫の妹の玉依姫が乳母として残る。やがて、その子、彦波瀲武鸕(盧鳥)茲鳥草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)が、育ててくれた姨の玉依姫を妃とし、生まれるのが、神武天皇である。(神代下 海幸・山幸と豊玉姫) |
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月読尊(つくよみのみこと) |
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「紀」には、月神、月夜見尊、「記」では月読尊などと記される。天照大神と共に生まれた三貴子の一神である。
農耕、漁業のための月齢を数える神であり、転じて月の神となる。かつて月神は男性と信じられていた。「紀」本文や「記」では、天照大神と並んで、天や夜の世界を治めるとされるが、「紀」の一書では、海原を治めるとされる。(神代上 国生み) |
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豊玉姫(とよたまひめ) |
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海神の神であり「記」には、豊玉毘売とある。彦火火出見尊と結ばれるが、出産の時に、尊に本来の姿(「紀」本文では竜、「記」では鮫)を覗かれ、生まれた彦波(瀲武鶴鶴)草葺不合尊を残して海に帰る。(神代下 海幸・山車と豊玉姫) |
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瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) |
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天輿大神の孫(天孫)として高夫の原から葦原中つ国に下った神。「記」には、邇邇芸命と記す。下った場所は、日向の高千穂であったとされる。瓊瓊杵尊は、この地で、木花開耶姫を要って、彦火火出見尊などの子をもうけた。
この神名は、実った稲穂に由来した新しい国土の王という意味であろうか。「紀」本文には高皇産霊尊が、真床追衾(まどこおうふすま)にくるんで瓊瓊杵尊を葦原中つ国に下したとあるが、天皇の即位儀礼との関係などをうかがわせて、興味深い所である。(神代上 葦原中つ国の平定) |
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彦波瀲武鸕(盧鳥)茲鳥葦葺不合尊
(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと) |
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瓊瓊杵尊の子、彦火火出見尊(山幸彦)と、海神の娘、豊玉姫の問に生まれた子である。『古事記』には、波限鵜揖葺草葺不合命(なぎさたけうがやふきあえずのみこと)とある。なぎさの産屋もまだ葺き終わらないのに生まれた勇ましい男という意味である。
この尊の出産の時に、彦火火出見尊が豊玉姫の制止を開かず産屋を覗いたため、豊玉姫は海へ遭った。この尊が妹の玉依姫を姨として、生まれたのが、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)(神武天皇)である。「紀」では尊は西洲の宮で亡くなったので日向の吾平山上陵(あいらのやまのみささぎ)に葬ったとされる。(神代下) |
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彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) |
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いわゆる山幸彦である。瓊瓊杵尊と木花開耶姫との間に生まれた。兄が海幸彦(この兄弟の名は、異伝が多い)。「記」には、日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと)、火遠理命(ほおりのみこと)などとある。
兄から借りた釣針を失くしたために兄に責められるが、海神の娘の豊玉姫の力を借りて、兄の海幸彦(隼人の祖先神とされる)を屈服させるのが、いわゆる海幸彦と山幸彦の物語である。
尊と豊玉姫との間の子が、彦波瀲武鸕(盧鳥)茲鳥草葺不合尊である。(神代下 海幸・山幸と豊玉姫) |
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一言主神(ひとことぬしのかみ) |
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葛城山に住み神託を下す神である。「紀」には一言主神、「記」では一言主大神とある。
雄略天皇が大和と河内の国境にある葛城の山に登ると、向こうから天皇にそっくりな人が現われた。名前をたずねると、吉事も凶事も一言で決定する一言主神と判る。
「紀」においては、天皇に徳があるので、神が天皇を見送るという話だが、「記」では、天皇一行が刀、弓矢、服などを献上するとなっている。(雄略天皇 四年二月条) |
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蛭児(ひるこ) |
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「紀」には蛭児、「記」には、水蛭子とある。伊弉諾尊、伊弉冉尊の結婚から生まれた不具の子である。「紀」本文では天照大神、月読神の後に生まれ、三年経っても足が立たない子と描かれ、「記」には、一番最初に生まれ、葦の船で流したと記されている。おそらく蛭のように骨なしの子であったと考えられる。(神代上 国生み) |
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経津主神(ふつぬしのかみ) |
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「紀」の国譲り神話で、高天の原から武甕槌神と共に遣わされ、大己貴神に国譲りを認めさせる神である。
フツは、物を断つ時の擬音で、剣の神と思われる。「紀」の一書において、伊弉諾尊が軻遇突智を斬った時に生まれたとされる。
しかし、「記」には、この神名はなく、建御雷之男神と共に遣わされるのは、天鳥船神である。そして、建御雷之男神の一名として建布都、豊布都などが挙げられている。そこで、フツの音から後になって作られた神という考え方もある。 (神代下 葦原中つ国の平定) |
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