先祖のおまつり
祖霊祭
祖霊(先祖の御霊、霊璽、御霊代)の祭祀は、恒例祭と臨時祭との二つに分かれる。
恒例祭の期日
 春期霊祭 三月春分の日
 秋期霊祭 九月秋分の日
 正辰祭 祥月命日
 月次祭 毎月一日及び十五日
 日供祭 毎日
臨時祭
 合祀祭 新霊合祀の当日
 式年祭 一年、三年、五年、十年、十五年、二十年、三十年、四十年、五十年、百年以後毎百年(式年の祥月命日)
神様と仏様の関係
 古来、日本は神様を祀り、暮しは神様とともにあった。仏様は欽明天皇十三年、西暦五五二年に渡来した。仏様をもたらした百済の聖明王は、欽明天皇に仏様の教えを説き、「此の法は能く無量、無辺の福徳、果報をなし、祈願する所、情のままに乏しき所なし」と云った。しばらくして、日本の神様は実は仏様で、神様になって人々を救っておられるのだと云う説が出て来た。
 はじめは、日本の神様は仏様にすくわれることを願っておられると、仏様を上、神様を下の関係と見ていたが、奈良時代の後期になると神様の本当の姿は仏様と、神仏同格と見る本地垂逆説なるものを生んだ。
 平安時代になると、仏様の本当の姿は実は神様だと云う説が出て来た。これを反本地垂迹説と云う。
 鎌倉時代から徳川時代の末期には、神様の理論的研究が進み、学問として学者が多く出た。中でも荷田春満、賀茂真淵、本居宣長を主流とする国学は神道を古道と唱え、明治維新の思想的原動力となった。明治にはいって、神仏判然(分離)令が出され、神様は神様、仏様は仏様として正しい姿に戻された。
服忌とはなんですか?
 「親戚の、○○にあたる人が亡くなられたのですが、お正目を迎えてもいいでしょうか?」毎年、年末近くになりますと、しばしば、このようなお尋ねがありますが、ここで「服忌」についてのご質問にお答え致します。
一、人が亡くなると「忌服」とか「忌中」、
  「喪中」などという言葉を耳にするけどどういうことなの?
 「服忌」と「忌服」は同じ意味で、家族や親族などが亡くなったとき、一定の期間を喪に服すことです。「忌」とは、死を畏れ忌みはばかるという意味で、死のけがれのある間は派手なことを控えて身を慎み、その死を悼み、御霊なごめのための避けられない期間のことで、最も長くて五十日間です。その期間内にあることを「忌中」といい、「忌明け」とは忌みの期間を終えたということです。「服」とは、忌明け後の期間をいい、忌明けの後も身を慎み、悲しみの気持ちを乗りこえ平常心に立ち返ろうとする期間をいい、「喪中」とは広い意味で「忌」と「服」の期間内にあることをいいます。
二、服忌の期間は、どのように決まっているの?
 服忌期間は地方の風習により様々ですが、「忌」の期間は一般的に次に示す通りです。
父母・夫・妻・子 五十日
祖父母・孫・兄前姉妹 三十日
曾祖父母・曾孫・甥・姪・伯叔父母 十日
その他の親族 三日
配偶者の親族については、前項を一項づつ繰り下げた日数による。
本葬・社葬などが右の期間を過ぎて行われる場合は、さらにその当日のみ服する。
 「服」の期間は、悲しみを乗り越えて平常な生活に戻るための「心のけじめ」をつける期間という意味でそれぞれの心情に委ねられますが、長くても半年位を目安にするとよいでしょう。
忌引き
 勤務先や学校等を休む時の「忌引き」を「忌」の期間と誤解している人もありますが、忌引きは勤務や招業に大きな支障が出ない範囲内で定められた、休むことのできる日数のことであり、「忌」の期間そのものではなく、一部に過ぎません。
三、「忌」の期間中は、どんなことを心掛ければいいの?
 「忌」の期間中には、次のようなことを心掛けます。
 ◆祭礼・行事への参加、神社への参拝や境内に入ることなどを遠慮します。
 ◆結婚式・祝賀会・式典などへの出席、行楽の旅行などは控えます。
 ◆祝い事を行うことを予定していた場合には、忌明け以降に延期します。
 ◆家の新築、増・改築や、大きな買い物等を控えます。
 いろいろと多忙で、対人関係も複雑になってきている現在の生活のなかで、忌明けまでの間、自宅に籠りきった忌みの生活を行う事は不可能です。したがって、以上に示したようなことを基本的な心構えとして、故人の冥福を祈る気持ちが、日々の生活のなかに自然に表れるように「忌」の期間を過ごすことを心掛けましょう。
四、喪家としての「忌」の期間は、どうなるの?
 前述の「忌」の期間は、故人との関係による本人の「忌」の期間であり、一個人としてはその期間が過ぎれば「忌明け」となりますが、同居している家族が亡くなった場合には、葬式を行った家そのものに「忌」が生じることになり、その期間は五十日間です。
五、家族が亡くなった時、神棚はどうすればいいの?
 神棚に家族が亡くなったことを奉告し、扉を閉め、正面に白い紙を貼って覆い、忌明けまで、お供えやお参りを遠慮します。また氏神の神社にも、身内以外の者を使いにたてて奉告します。なお白い紙は「忌明け」の時にはがし、神祭りも日常に戻します。
六、不幸のあった年は、正月の祝い事はできないの?
  お伊勢さまや氏神さまのお神礼も受けられないの?
 その家の主人、または喪家が「忌明け」をしている場合には、お正月を迎えることも、お神札を受けることも年賀状を出すことも、支障ありません。しかし、「忌明け」していない場合には、小正月または旧正月にします。その際、年賀状のかわりに、近況報告をかねて、「寒中見舞い」を出すことも一つの方法です。
七、仏式のお葬式を行った時でも、神主さんに忌明けのお祓いをしてもらうの?
 神葬祭、仏式葬を問わず、死後五十日後に「忌明け祓い」を受けて忌明けとなります。「忌明け祓い」とは、家族の死という、この上のない大きな悲しみを乗り越えるための区切りの儀式として「これ以上に不幸が重なりませんように」という祈りと「家内安全」の願いを込めて家や家族のお祓いを行うことです。「忌明け」を迎える時には、事前に神職に依頼して「忌明け祓い」を受けましょう。
八、結婚式などの慶事の直前に身内に不幸があった場合は、どうすればいいの?
 最寄りの神社にご相談の上、忌明けのお祓いをお受けになるとよいでしょう。
九、なぜお祓いをするの?
 神道では神事(お祭り)を行うときには、必ず最初に「修祓」と称して、お清めのお祓いを致します。では、なぜお祓いを行うのでしょうか。実は修祓とは、「罪」と「穢れ」をお祓いし、お清めして生きる力、つまり「生気」をますます強め、昂めていくための大切な神事なのです。

【罪】   日本人は、昔から「罪」とは、道徳からはずれたり、法律などを破って社会生活の秩序を乱すといったことだけではなく、風水害や病害虫等の自然の災害にあうことも「罪」であると考えてきました。すなわち「罪」とは、人為によることであれ、自然発生によることであれ、人の精神や肉体、さらに自然現象やものごとが正常(清浄)ではない状態を「罪」と考えてきたのです。

【穢れ】 「穢れ」とは、不浄なものに触れるといったことだけではなく、よこしまなことを考えたり、言葉にすることも「穢れ」であると考えてきました。

【死の穢れ】 「死」はもっと重大な「穢れ」であるとされています。死ぬことによって、肉体が崩れてしまうといったことだけではなく、生まれながらにして、神さまからいただいている瑞々しい「気(生気)が涸(枯)れた」(穢れた)結果、生きる力がなくなってしまったとして、恐れ、悲しむ心から「穢れ」であるとしてきました。
 つまり、「穢れ」とは、精神と肉体・物質とを問わず、不浄であることや、気滑れることによって、精神的にも肉体的にも生命力が衰えたり消滅することをもいうのです。
 このようなことから、「穢れ」に触れるということは、精神的にも肉体的にも生命力が衰えたり消滅したりして、人生を充実させることができなくなるということが理解できます。「修祓」(お清めのお祓い)をすることの意義と大切さがここにあります。
「清めの塩」は差別につながる?
 神道のすべての祭儀において行われる「修祓」は、国土生成の神であられる伊那那岐命が、 黄泉の国(死後の世界)から帰ってこられた時、穢れた国に行っていたとして、自発的に禊ぎ祓え(海や水に入って心身を清めること)をされた「自祓い」に始まります。
 すなわち「修祓」とは、私たちが自発的に清浄(正常)な心身を回復しようとする謙虚な心の 表れであり、さらに「神霊」や「祖霊」の霊威が強まり、昂っていただくことをお祈りする神事であり、決して「罪」や「穢れ」に触れていることを下卑であることとしてさげすんだり、差別をするといった考え方によるものではありません。
 「修祓」は神聖性と清浄性を保ち向上させようとする、宗教・信仰上の自発的道徳精神の発露なのです。
 ちかごろ「お清め」は差別に繋がるから、葬儀後の「清めの塩」も廃止すべきだ、などと主張する宗教教団もあると聞きますが、このような主張こそは、尊いと崇める「厳粛な御存在」を、みずから汚し、否定することにもなりましょう。
 宗教や習俗におけるお清めの儀式には「塩をまく、水浴をする、香(散香・線香等)をたく・塗る(香水)、茶をかける、油をぬる、紅・丹・墨をつける」等、形態にはそれぞれ違いがありますが、「神聖性」と「清浄性」を保つための大切な儀式・作法として、世界中の多くの宗教や習俗において今なお厳粛に行われています。
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