季節と生活(四季の行事)
 日本の四季の循環は、稲作と深く関わり、生活のリズムを刻むと共に、豊かな行事を生み、彩りを添えてきた。この季節は陰暦に符合しているもので、十二ヶ月すべて稲の成熟の次第を逐うて名づけてある。
一月 睦月 実月の意、稲の実(種子)を始めて水に浸す月という(古くは種の浸種は長期にわたっていた)。
二月 如月 萌揺月の略で芽の萌し出る月の意。
三月 弥生 いやおいの約で、水に浸した稲の実が、いよいよ生いのびる意。
四月 卯月 植月で稲種を植える月(四月は十二支の方は暦月卯の月でもある)
五月 早月 早苗月の略で早苗を植える月。
六月 水無月 田水の月の略転、田に水をたたえる月の意。
七月 文月 この月だけが稲の生育からはなれる。文月の略と云われる。
八月 葉月 稲穂の発月の意、また葉落月の意。
九月 長月 稲熱月の略か、夜長月は疑わしい。
十月 神無月 醸成月十一月の新嘗に新酒をかもす月、神様が出雲の国へ行かれると云う説もある。
十一月 霜月 食物月の略、新嘗をする月。
十二月 師走 歳極の略と云われる、また万事為果つの意、また農事の終る月の意。
正 月
 正月は歳の神様を迎える日であり、歳神様は正月様とも呼ばれる。年棚は歳の神の神座で鏡餅やお酒等を供え、灯明をあげる。
 トシは田寄と云うことで神様がみたま(御霊)をもって田に稲を成して天皇に寄し奉る意味で、タヨがつまって卜となった。十二か月の月がすべて稲の成熟の次第を云うものであり、年を数える意味になった。歳の神様は延喜式巻第八祝詞祈年祭(稲のみのりを祈るまつり)に御年皇神とあり、この神様に稲の成熟を祈っている。
 正月の歳神むかえは地方によって豊かなしきたりを生んでいるが、早朝氏神様に参り家中でお祝いする。
お屠蘇
 屠蘇の習慣は中国から伝わり、紅色の絹で作った三角形の袋に桔梗、山椒、小豆、肉桂、大黄等を入れた延寿屠蘇散を味醂に浸したものである。風邪の予防薬で、胃腸も丈夫にする漢方薬である。
 屠蘇を元旦に飲むと災厄を払い、寿命を延ばすと云われる。中国の習慣では若い順に屠蘇を飲むが、京都等では年長者が先で、長寿にあやかるのが一般的である。
煤 払
 年の暮の十三日頃からする。家の汚れを落し、歳の神様を迎える祭の場とする準備である。
歳神迎え
 古来日本の一日の始は日暮で、次の日暮までを一日とした。すなわち大晦日の夜から歳神様を迎える。日暮になると神棚にお燈明(この火は氏神様からいただいて来る地方がある)を一対(一つ火はいけない)をあげ、おせち料理をお供えする。年越しそばも神様にお供えしてから家族そろっていただく風習がある。
除夜の鐘
 除は旧年の悪しき事を除く意味であり、鐘を百八撞くのは煩悩をやぶるのだと云う。神迎えのお祓いにも通じる。
 また、百八は一年の十二か月、二十四節と七十二候を合計した数とも云われる。
おけら参り
 おけらとは蒼求と云う薬草で、乾かして健胃剤に用いる。色の白いのを白求と云い、昔は燈芯に使用した。氏神様や崇敬神社で火を火縄に移して運び、燈明をあげる。正月の煮焚はこの火を用いる風習がある。
注連縄
 七五三縄などと表す。しりくめ縄の略、閉の意で神事の場に不浄なものの侵入を禁ずる意味があり神聖、清浄な場所で歳の神様を迎えるために紙垂をつけて張る。また祭の場所に張りめぐらす。注連縄は太い方を向って右になるように飾り、正月は一夜飾りを避けるため、二十八日までに取付ける。
注連縄飾
 裏白、ユズリハ、橙を添えて、清浄な藁で左縒りに作られたもの。注連縄と同じく、三筋、五筋、七筋と順次にわらの茎を経り放したもので、災いの侵入を防ぐ意味もあり、家や部屋の四方に張りめぐらされた縄が略され、玄関に飾るようになった。また、輪飾りは、部屋の柱、台所、家の要所、自動車にも付けて清める。
門 松
 その年の神様が降りてこられる目印として対に飾り、外から見て左に雄松、右に雌松(地方により異なる)とする。新年を祝して門先に立てる松飾りのこと。松の切木に竹を添え、七五三縄、輪飾り、裏白、橙等を懸ける。上古の神事に榊を用いたものが松に変ったものである。
おせち料理
 おせちは節供のくを略したもの、五節供(人日正月七日、上巳三月三日、端午五月五日、七夕七月七日、重陽九月九日)に特に作るもの。
 正月のおせち料理は、勝栗、昆布巻、田作(田の神様を祭る供物に供したのでこの名がある)牛蒡、れんこん、人参、くわい、黒豆、かずのこ、が特色となっている。
 おせち料理を暮に作るのは歳の神様を迎えるお供え物で、家族は神様のおさがりものとして、ともにいただくものである。起源は主婦の正月休みのためではなかった。
 正月三が日の祝膳には、漆器が好ましく、箸は柳製の丸箸を使用するのが適例である。
恵方参り
 歳神様のおられる方向をあきの方として大吉とする。これが中国の暦法上の歳徳神と習合し、神のおられる方向をその年の歳神様の方位として暦本に書くようになった。そしてあきの方向の神社、仏閣に参ることを恵方まいりと云う。あきの方(恵方)と云うのは、エト(干支)のエ(兄・吉)の方である。
年 男
  年男は正月の行事を取りしきる人で、もとはその家の主人役であった。近年はこの役に有名人を立てて正月行事を行う所もある。
若 水
 古代、立春の日に宮中の主水司から天皇に奉った水であり、後には元日に始めて汲む水を若水と云う。一年の邪気を除くという若水汲は年男の仕事である。
雑 煮
 正月三か日の食物は雑煮が多く、餅と種々の材料を煮込んだ祝の汁もので、関西は白味噌に丸餅、関東は澄まし汁にのし餅のかまばこ切りとした慣習があり、地方により多様である。
重 餅
 重餅は歳の神の神座である。米俵を神のよりしろとして、神を迎える地域もある。重餅、雑煮は室町時代からみられる。
 正月の餅つきは、十二月二十八日が一般的であり、歳神様と共にいだたく食物である。
鏡開き
 正月十四日(十一日、二十日の所あり) に重餅を斧や槌で割ってぞうに、ぜんざいなどにして、歳神様の恵みを受けるために食べる。
 新年の活動が新しく始まる意味でもある。
お年玉
 正月に搗いた餅は小餅にして歳神様にお供えし、一人一人に頒け与えた。年玉のおこりはこれにあたり、お金にして与える風習はこの変形である。
年 始
 大化改新のとき年賀儀礼が定められ、現在も新年の挨拶に廻る風習は広く行われている。父母、職場の長、芸事の師匠の宅などに年始に廻る風習は今も残っているが、年賀状がこの年始に変っている。これを虚礼(表面のみで実意のない礼式を云う)として廃止せよと云う人があるが、日本の美風として残したいものである。尚、元旦は歳神様を家で祀る日なので、年始挨拶は避けた方が良い。
松の内
 正月十四日までを松の内と云い、正月の挨拶はこの期間にかぎられる。また、門松や正月飾は十四日に集めて十五日にとんどで焼却する。
左義長(とんど)
 とんど、左義長は三毬杖の略で、初めは毬杖を三本立てたことからこの名がある。正月十五に書初、門松、正月飾を焼却する。トンド、トンドと囃して焼いたからとんどと云う。
 昔宮中では正月十五日の朝に天皇の吉書を焼いた儀式も左義長と云った。お迎えした歳神を送る行事で悪いものを追い払う意味もある。また、とんどの火で餅を焼いて食べると無病息災になると伝えられる。
七種粥
 正月七日人日の日に春の七種を粥にする。芹、秀(ペンペン草)、御行(母子草)、はこべら(はこべ)、仏の座(おおばこ・たびらこ)、菘(かぶ)、蘿蔔(大根)の七種。万病を防ぎ、消化を良くし、ビタミンを多く含む食物である。
小豆粥
 正月十五日はあずきを粥にして食べる、昔は望粥とも云い、平安時代より年神様に供え、家族でも食べた。望とは満月のことである。米、小豆、ササゲ、キビ、アワ、ミノゴメ、トロロイモの七種の穀菜を煮て粥を食べたのが小豆だけの粥になったものである。
節 分
 立春の前日を節分と云う。季節の変り目には邪気を除く意より「福は内、鬼は外」と云って豆をまく。
 神社で行う追儺行事はこの日か、前後に行われる。節分の夜は年越しと云い、日暮に神棚にお燈明をあげてまつる。これは旧暦の立春を正月としていた名ごりであり、また一日は日没から始まると云うことを意味している。
事八日
 十二月八日を事始め、二月八日を事納めの日とした、八日は旧暦で云う上弦にあたる。
 また、「こと」と呼ばれる行事は本来は特に改まった飲食の意味、すなわち「時の日」の祭事、「節」と同様の意をもっていた。これらの日に種々の行事が行われる地域もある。
 二月は正月の神事が完了する意味であるが、田の神を祀る農事、祭事の始まる事始めの日でもある。
寒中見舞
 小寒の一月六日頃より二月始めの立春迄に届くように送付する。喪中で年賀状が出せなかった場合等には、寒中見舞状を出すことができる。
初 午
 新年になって初めての午の日を初午と云ったが、今は立春からかぞえて初めての午の日を初午と云う。稲荷神社の例祭日である。
祈年祭(としごいのまつり)
 年は稲のことで、昔、延喜式の定めで旧二月四日、神祇官で稲の豊作を祈った。各神社では二月中に行い、稲の豊作と産業の発展を祈願する最大の祭である。
針供養
 鍼供養、婦人が日ごろ裁縫に用いて、折れた針を集めて豆腐にさし、土にうずめ供養する。終日裁縫を休み、二月八日に行う所が多い。
雛 祭
 三月三日に雛人形を飾ってまつる女児のまつりのこと。また、三月の節句は桃の節句と呼ばれ、女児の成長を願うまつりでもある。現代のような形式は江戸時代に始まり、明治時代以降から華やかになった。飾り方は、関西では向って右側が男雛とされる。
 上巳の祓として、身についた悪しきものを人形に托し流したのが流し雛であり、雛人形の原型と云われている。雛はもと人形で霊力あるものの意。
彼 岸
 春分、秋分の前後七日間を彼岸と云い、日本固有の行事であったが、仏教と習合してきた。
 春、秋の太陽が真東から登り、真西に沈む日であり昼夜の長さが同じ日である。前後の日を彼岸の入り、中日、彼岸明けと呼び、先祖の祖霊社にお供えの上参拝し、墓(神道では奥都城と云う)にも参拝する。
花 祭
 四月八日に寺院ではお釈迦様の誕生日を祝う。誕生仏に甘茶をそそいで祈る祭りのこと。
 この日に農村では山に入って、藤、しやくなげ、つつじ等の花をとって来て軒にさげた。奈良の大神(率川)神社では、花の咲く頃、疫病が流行するのでこれを鎮める鎮花祭(三枝祭、百合祭)が行われる。また、五月に熱田神宮では花の擁(豊年祭)と云って、並べた農の作り物(飾り)によってその年の米、綿、蚕などの豊凶を占った。
 花祭はこのような日本の伝統行事のうえに生まれたものと思われる。
端午の節句
 五月五日、男児の節供で鯉のぼりを立て、具足を干す習慣から武者人形を飾る等、武家の風習を伝えるものである。鯉のぼりは、吹流しが変化したもので、かつては鍾馗のぼりが一般的で、中国では疫病を祓う神とされていた。
 菖蒲の節句とも云われ、災厄を祓うとされる菖蒲湯に入り、ちまき(餅米等を茅の葉で包んで蒸したもの)、柏餅(神様に供える餅を拍の葉で包んだもの)を食べる習慣がある。
水口祭
 苗代の水口に焼米(苗代に播き残った籾をいったもの)を供え、ウツギの枝などを供える、また神社から受けた御幣を竹にはさんで立て、田の神をまつる行事である。
田 植
 田植は天・山から田の神を神降して、神様の前で行う行事であるから、田植そのものが祭りであり、地方に多くこの行事が残っている。また、田植歌は神賛歌である。
山開き
 登山の許される日であり神事が行われる。
川開き
 川に入ることを許される日で江戸の隅田川の川開きは五月二十八日であった。川によって川開きの日が決められていたが、今は汚染がひどく、泳げる川は少なくなった。海開きも同様である。
嘉祥食い
 平安時代に始まると云われ、疫病を払うために六月十六日に十六個の菓子や餅を食べた。仁明天皇の嘉祥年間に始まると伝えられる。
 江戸時代には将軍が大広間で御目見以上に菓子を頒け与える等、お菓子をたべる日でもある。
虫送り
 夜、たいまつ、わらの束に火をともして鉦をたたいて虫を山へ送る行事で、夏の夜を涼しく感じたが、今は見られなくなった。
雨 乞
 雨が降らないと稲が稔らないので神様に祈った。今は稲の稔りの他、飲料水不足の時にも神社で雨乞いをする。雨乞いに御輿を出す場合もある。
夏越の祓
 六月晦日、人形に「家内安全」「疫病退除」などと書いて大祓詞をあげ、それを川に流して、罪や穢を自己で祓う儀式である。
 今は堤防が出来て海へ流れること無く、河川を汚すので焼却することが多い。また神社では茅の輪をくぐる神事がある。
茅の輪
 罪穢、疫病を祓う祭具の一種。茅、真菰、藁等を束ねて輪とし、神前の鳥居や拝殿に立てて参拝者がこれをくぐる。六月の祓に行うのが通例である。夏越祓とも云い、一年を二季に分け、六カ月ごとの同じ行事を重ねる古代暦制下にあって境目をなす重要な日の祓の神事である。
蘇民将来
 疫病除けの神または邪気退散の呪符。備後風土記にみるスサノオの尊が蘇民将来の一家に茅の輸を与え、腰に付けさせて疫病から救った由来より、木製六方形の棒に蘇民将来子孫守等と書き頒布しているところがある。また、近畿地方特に伊勢地方では正月の注連飾りに同様の文字(または笑門)を書き門に飾る風習がある。
七 夕
 陰暦七月七日の行事。中国の星伝説である牽牛と織姫とが銀河をはさんで一年一回の会合をするという話と日本の棚機津女(たなばたつめ)の信仰とが習合したものである。(棚機津女とは、この時期に訪れる神様を迎えて祀るために村の乙女が水辺の機屋に籠る風習)
 文字の上達を願い里芋の葉の朝露をとって、墨をすり短冊に願い事を書いたのは寺子屋等の行事に始まった。七夕飾りは、短冊等を六日の夜に笹竹に付けて飾り、野菜、果物をお供えし、七日の晩に軒先より下ろし河海に流した。(七夕送りと云い、神様に穢れ等を持ち去ってもらう行事)
 民間にあって、この日は雨が多く藁人形を河に流す等、水に関する諸行事がある。また、この日を七日盆といって、藁等で馬・牛を作り軒に飾った。これに御先祖様が (田の神という説もある)乗ってくると云われ、盆が終わると送り流した。
 これらは祖先祭の前段階としての穢れを祓う禊行事であったとも解される。
お中元
 正月、七月、十月の十五日を上元、中元、下元とよぶのは前漢時代からである。日本では七月の中元にお世話になった人に贈りものをする。
 民間ではこの日を休日とし、奉公人や嫁は里帰りをする日でもあった。
八 朔
 旧暦の八月朔日(一日)のこと。稲の実りを祈願する行事である。農耕の労働も一段落し、秋の豊作を待つ季節で風祭等種々の行事がある。田の実節句とも云い、粟餅をつき食べて祝う。
 江戸時代は徳川家康が天正十八年のこの日に江戸城に移ったので特に節句のひとつとして祝った。
 民間ではこの日を休日とし、奉公人や嫁は里帰りの日でもあった。
御霊祭
 お盆の八月は、日本人固有の「たままつり」の月で、もともと仏教行事ではなかったが、仏教の孟蘭盆経が布教され習合したもので、たま(霊)を否定する原始仏教と、「たま」をまつる日本固有の行事はもともと一致すべきものではなかったが、習合の結果仏教行事のようになってきた。
 正月とお盆は日本人の二大行事で盆暮決裁、奉公人の休暇など、日本人の生活の節目である。
盆 道
 「草葉のかげ」と云われるように、墓に草が深いのは手人れが行とどかないのではなく、墓がある所はそうしたものであった。盆道は「たままつり」のために墓所から部落までの草を刈る。ご先祖様が歩いて来られる道をつけるのである。墓掃除は七日盆と云って八月七日にする所が多い。
盆 踊
 室町時代頃から催される念仏踊りがもとであり、霊に対するみたましずめの行事である。広場にやぐらを組み、ゆかた姿の男女が輪になって踊る。
 新盆を迎えた家は家族そろって必ず参加する地域がある。
迎え火・送り火
 十三日夕方に門口で火を焚いて道しるべとし、みたまを迎え、墓地へ行ってご先祖様をまつる。
十五日あるいは十六日には送り火を焚いてみたまを送る。京都の五山の送り火は有名である。
精霊舟
 精霊舟は麦がら、麻がら、木、などで作った舟でお供えものを入れて河海に流す。今は河川がよごれるので川端に集めてまつりをする所がある。民俗行事としてのみたま送りの儀式である。
十五夜
 旧暦八月十五日の夜、ススキ、ハギ、オミナエシなどの秋草を瓶に挿して縁先などに出す。果物、団子を供えて月見をする行事である。
 もとは中国の風習で、仲秋の名月と云い、西瓜を供え、月餅を作って食べた。
十三夜
 旧暦九月十三日に月見をするのを後の月見と云う。九月十三日の夜の日本古来の月祭りが、大陸から仲秋の名月が入ってきて二重になったものと考えられる。
秋祭り
 秋になると、米や穀物の収穫を感謝して、各神社で祭りが行われる。日本の祭りは氏子と氏神様、地域と氏神様がともに喜び、神様とともにある日である。地域の平穏な生活と子孫の悠久を祈るこのまつりは日本民族統合の源である。故郷を離れている人は、秋祭りに、故郷へ帰ってお祭りに参加することは、子孫の永遠を保証されるものと云える。
神幸祭(渡御式・おわたり)
 神霊(分霊)が本社より他所(御旅所等) に渡御されることを御幸と称し、その祭典を神事祭という。神事には神輿、鳳輦等に奉御され、神職供奉、氏子が榊、幟旗、神宝類を捧持し、古例の服装、礼装にて威儀を正して供奉する。陸路に限らず船で水上(海上)を渡御される例も多く、御船祭等と呼ぶ。
山 車
 神社の祭礼に曳く屋台。山、鉾、人形等を飾るが、その中心である鉾の上に髭籠(ひげこ)の竹の編み残しのようなものが付いていて、それを「出し」と云う語義から呼ばれた。神霊の依るところを標示したもの(京都八坂神社の祇園の鉾、高山祭の山車は有名)。関西地域では「だんじり」とも云い地車、車楽、檀帳等と書く。
直 会
 祭における酒宴行事。語義は、祭が終わり忌みを解いて常に直る意で、人々が直り合う義とされる。神に供えた神饌や神酒等を参列者が頂戴し、共食を主体とする関係から酒宴の性格を深めてきた。
氏子(氏神)
 ある地域社会の住民として、その土地の神社(産土神)に対して伝統的な共同体の同族的心意に基づき、宗教生活上の帰属関係を持つ人を氏子と云い、その氏子を守護する神社を氏神と云う。
神送り
 十月は神無月で全国の神々が出雲に集って、神様が留守になると云う説もあるが、翌十一月の新嘗祭に新酒を醸す月の意と考えられる。
 地方によって日が異なるが収穫のすんだあとで、田の神様たちが田から山へ帰られる月であり、米は田の神様の下されものである。
神無月
 出雲では、昔から陰暦十月になると、全国の村々から神々が出雲に参集され、男女の縁なども含め氏子の行状について話し合うと伝えられてきた。このため、陰暦の十月は神無月といわれるが、出雲だけでは神有月とされ、出雲大社では「神在祭」が行われる。
 神在祭は、陰暦十月十一日から十七日までの期間行われる祭で十日の夜に稲佐の浜に出て神迎え祭を行う。神迎えの儀式は、海の彼方から寄りくる神々を神籬に迎えて本社に帰参し、本殿両側にある三十八の末社に鎮め祀ると云うもの。古来からの伝承によれば神々はこの期間そこに滞在され、会議は海岸に近い上ノ宮で、それぞれの土地の縁結びを神議られると云う。
身の車
 旧暦十月の亥の日に餅を食べて無病息災を祈る行事、主に収穫の祭りである。春の亥の子の日に降りてこられた田の神様が秋の亥の子の日に山に帰られるという。ぼた餅を作って祝う行事。
冬 至
 太陽が最も南に位置し、北半球では日照時間が最も短い日、小豆粥を食べて厄を祓う習慣がある。
 江戸時代より、柚子湯に入るのは風邪を防ぎ、皮膚を強くする効果があると云われている。また、南瓜にはカロチンを多く含み、ビタミンの補給に相応しく、冬至に食べると厄除けになると云われている。(反対が夏至)
ふいご祭り
 旧暦十一月八日、今では十二月八日に行われる。鍛冶屋、鋳物師などふいごを使う職業の人たちのまつりである。お供え物は、口が大きく、風をよく送るようにとメバルが使用される。
新嘗祭(しんじょうさい)
 十一月二十三日宮中にて行われる祭祀、新穀を天神地祇にすすめ、収穫を神恩に感謝すると共に天皇親しくこれを聞し食される。神祇令によると大嘗祭と云い十一月下卯日に祭が行われた。
 現在も各神社で最大の祭として行われる。(国民の祝日では勤労感謝の日)
歳 暮
 他家に嫁いだ娘が正月の歳神様に供える品物を実家に贈った習慣より始まった。現在は歳の暮の贈りものの意に変った。中元とともに親戚、目上、世話になった人に贈りものをする。
水 引(かけがみ)(金封)
 慶事用は二枚重ね、弔事は重ねることを避け、一枚の奉書等を使用する。形式は、物を包むかたちとして鎌倉、室町時代より始まったとされる。
 水引を掛ける場合には、色の濃い方が向かって右になるようにし、金銀は金が右となる。また、水引(こより)の本数は慶事には奇数、弔事では偶数を使用する。(陰陽五行によれば偶数が陰であるとする)。
 弔事と結婚は二度とないように結びきりとし、表書は包みの中身を示すために書き、水引の下に贈り主の名前を書く。(名刺を貼る場合には左に寄せて貼る)
 尚、袱紗等で大切な包みが汚れないように持参するのが丁寧である。
 御進物、お供え等を持参する場合には掛紙を掛ける。箱の場合には直接掛けるのが原則であり、紙は奉書紙を使用し、箱の上下の寸法に合わせる。(小さくても良いとされる)
季節との関わり
 忘年会と云って、同社会の人など、又親戚で飲食する。この他、雪見、花見(さくら、つつじ、さつき、しようぶ、ばたん、菊など)。もみじ、柿、くり、まつたけ狩など自然との関わりは多く、私達は神を尊び、個人は社会を認め、社会は個人を認めて、この美しい風土に生かされていることを感謝している。
 神様を尊び、先祖を敬い、子孫繁栄の道をひらくために、神様とともに先祖、私等、子孫が悠久に生きる道を求め、自然の中の神様と関わり、なお美しく清浄に楽しく生きようとしている証である。
大晦日・初詣
 晦日とは毎月の最後の日、一年の最後の日は大晦日と云う。
 大晦日の深夜に初詣でに出かけるのは、古い時代に神社にこもった習慣の名残りと云われる。
 また、この夜には火に関する祭や伝承が多く残っており、新しい火によって清める意味があり、境内で火をたく習慣がある。
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