神社のおはなし
神 宮
 神宮には、天照大御神を祀る皇大神宮(内宮)と豊受大御神を祀る豊受大神宮(外宮)の両正宮を中心とし、十四の別宮と四三の摂社、二四の末社、三四の所管社、八の別宮所管社を合わせて一二五の宮社に神様が祀られている。これらの宮社すべてをふくめて「神宮」と云う。
別 宮
【皇大神宮】 
荒祭宮・月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮・
瀧原宮・瀧原竝宮・伊雑宮・風日祈宮・倭姫宮。
【豊受大神宮】
多賀宮・土宮・月夜見宮・風宮。
皇大神宮(内宮)
 天照大御神は、最も鄭重にその御名を「天照坐皇大御神」と称えられている。
 そのお姿は『日本書紀』(神代上一に「光華明彩・六合照徹」と称えられるように、天地に照り徹る、光輝くばかりに美しい神様であり、その御名から拝することができるように、太陽のごとく、すべてのものに恵みを与えて下さる最も貴い神様で、私達が敬慕する皇室の御祖神様である。また、日本人の大御祖神様、総氏神様としても尊ばれている。
 高天原からの天孫降臨以来、「三種の神器」の一つである「八咫御鏡」は大御神の神勅(言葉)により、歴代の天皇が皇居内において常にお側近くに祀られている。
 しかし、第十代崇神天皇の御代、天皇はその御神成を畏まれ、皇女の豊鍬入姫命を御杖代として命じられ、皇居より大和の笠縫邑(現在の奈良県桜井市三輪山の麓)に達して祀られた。(斎宮の始まり)
 そして、第十一代垂仁天皇の御代、さらに佳き大宮地を求めて天皇の皇女倭姫命が、大和・伊賀・近江・美濃・伊勢などの国々を巡られた後、伊勢の度会の宇治の五十鈴川の川上に到られたとき、是の神風の伊勢國は、常世之浪重浪帰する國なり。傍國の可怜國なり是の國に居らむと欲ふ。『日本書紀』巻第六(垂仁天皇)との大御神の神意を受けられて、現在の地に祀られたと伝えられる。
 この御鎮座は、垂仁天皇二十六年(西暦・紀元前四年)丁巳秋九月甲子(十七日)と伝えられ、過日の平成八年には御鎮座二千年と云う意義深い佳年を迎えた。
 神宮の創始以後は別の神鏡を宮中の賢所に奉安されている。
 天照大御神が皇居外に祀られたことは、わが国の飛躍的な発展の時期と深い関係があるとされ、その広大無辺なる御神徳をすべての国民に光被され、天皇陛下を中心として国民一体となり理想の国づくりをすすめることを意味し、これについては大御神が神勅で示されている。ここに神宮祭祀の本義がある。
三種の神器
 天孫降臨に際し、天照大神から瓊瓊杵尊に授けられた八咫鏡・八坂瓊曲玉・天叢雲劔(草薙剣)の三つの神宝を指し、皇位の御霊で、歴代の天皇が賢所に捧持されている。
宮中三殿(神殿)
 皇居の内庭の吹上御苑に奉祀されている三つの神殿を云う。
 祭神は、中央が賢所(天照大神)、西殿が歴代天皇の神霊で、皇霊殿と称し、東殿は八神(神祇宮八神は、神産日神、高御産日神、玉穂産日神、生産日神、足産日神、大宮賣神、御食津神、事代主神)及び天神地祇で神殿と称する。宮中のまつりごとを御巫により奉祀される場所である。
 この八神は玉体(天皇の大御身)守護の神々として奉斎され、明治初年頃の毎年の鎮魂祭には、特に宮内省に招じ、その前にて鎮魂行事が行われた。神殿の大きさは各一宇 良一丈七尺、広一丈二尺五寸とある。
三大神勅
天壌無窮の神勅
 豊葦原千五百秋之瑞穂國は、是れ吾が子孫の 王たる可き地なり。宜しく爾皇孫就きて治せ。行矣、實祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮無かるべし

寶鏡奉齋(同床共殿)の神勅
 吾が兒、此の寶鏡を視まさむこと、當に吾を視るがごとくすべし。與に床同じくし、殿を共にして、以て齋鏡と為す可し。

齋州庭稲穂の神勅
 吾が高天原に御す齋庭の穂を以て・亦吾が兒に御せまつるべし。『日本書紀』巻二 神代下

 天照大御神が五十鈴川上に祀られて約五百年の後、第二十一代雄略天皇二十二年(西暦四七八年)戊午秋九月望に豊受大御神を、伊勢にお迎えし、祀られたと伝えられている。
 雄略天皇は、夢の中で天照大御神からお告げを受けられ、天照大御神の日々の食事を調えられる「御饌都神」として、豊受大御神を丹波の国比治の真奈井から、伊勢の国度会の山田ケ原に迎えられた。そして「御饌殿」を建てられ、あらためて豊受大御神が天照大御神の毎日の朝夕の大御饌(食事)を調えられることとなった。
 それ以来、一千五百年の時を奴杜た現在に至るまで「日別朝夕大御饌祭」が、一日も絶えることなく執り行われている。
 豊受大御神は、日本人の日々の食事に欠かすことが出来ない「米」作りを始めとして、五穀の豊穣と衣食住をつかさどり、ひろく産業の守り神として祀られ、天照大御神とともに広く崇敬されている。
神明社(しんめいしゃ)
 神明とは、「天地神明に誓って」「神明の加護を得て」と云うように、ひとつには広く神様を意味する場合と、もうひとつには特に天照大御神をさす場合とがある。全国には約一万八千社の神明社(神明宮・神明神社)があり、主に後者の意味で、伊勢信仰が盛んになるにつれて、伊勢神宮の祭神が各地に祀られるようになった。
 天照大御神は皇室の御祖神であり、豊受大御神は生命の糧である食物を掌る神である。伊勢神宮は国民の総氏神、全国神社の根本社と仰がれ、特に本宗と呼ばれている。
 祭神や由緒等、伊勢神宮と関わりのある神社の名称としては、神明社が一般的であり、その他に大神宮、皇大神社、豊受神社、御厨神社、天祖神社等がある。
八幡神社(はちまんじんじゃ)
 八幡神社(八幡宮、八幡社)は全国に約二万五千社あると云われる。祭神は主に応神天皇(誉田別命)、比畔(売)大神、神功皇后(息長帯比売命)の三神である。応神天皇の親神の仲哀天皇や御子の仁徳天皇を加える場合、比売大神を宗像三女神や玉依姫命とする場合などがみられる。
 八幡信仰は、奈良時代より皇室の崇敬をうけ、隼人征伐や大仏開眼の援助をした宇佐神宮(宇佐八幡)から起った。貞観二年(八六〇)僧行教によって京都男山に石清水八幡宮を勧請、その後鎌倉に鶴岡八幡宮が創建され全国に祀られるようになった。八幡様は武人の神として外敵防護、領内鎮護の神とあがめられ、民衆の神としても祀られている。
 応神天皇と神功皇后は大陸の文化を積極的にとり入れ、古代日本における文化の向上、国家の発展に早くされた。また母(神功皇后)と子(応神天皇)の関係から、母子神の信仰があり、母の慈愛と子供の成長は一般民衆の広い共鳴を得ている。
 また、武内宿彌は家主忍男武雄心命と影媛の子である。景行、成務、仲哀、応神、仁徳の五天皇に任え、なかでも神巧皇后の功臣として知られる伝承的人物であり、審神者(清場から転じて神託を掌る者)として宗教的役割も担ったとされる。
稲荷神社(いなりじんじゃ)
 稲荷神社は全国で最も多く祀られている神社で、約三万社あると云われる。赤の鳥居に狐石等の形態が特徴であり、二月の初午や商売繁盛・産業発展の神として民衆にとけこんだ親しみのある神社である。赤色は豊作や魔除けを象徴する色で狐は神の使いと信じられている。
 総本社は京都の伏見稲荷大社で、主祭神は宇迦之御魂神。和銅四年(七一一)二月七日初午の日の鎮座と伝えられる。宇迦之御魂神は倉稲魂神とも書き、別名を豊受気比売神、保食神、大宜都比売神、大宮能売大神等とも称し、神社により祭神の表記が違う場合もある。「うか」「うけ」は食物を意味する言葉で、稲荷は 「稲生り」「稲成り」の意味であり、神像が稲を荷っているところから「稲荷」の字があてられた。稲(米)は食物の中心であり、食物は生命のもとであるから、その「みたま」(魂)を宇迦之御魂神と称えあがめている。
 稲荷の神はもともと農業の神であり、米一粒が何倍にも殖えるように、殖産の神としてあがめられ、商売繁盛の福の神、諸産業の守護神としてあらゆる職業の人に信仰されている。
天神社(天満宮・天満神社)
 天神さまと呼ばれる神社は天満宮、天満神社と云われ、全国に約一万五百社もある。
 祭神は菅原道眞公(菅公)で、霊威を敬って天満大自在天神(天に満ち満ちて大自在の威徳を示される神)、略して天満天神と称される。
 道眞公は平安時代初期の人物で、学問の名家に生まれ文章、詩歌にすぐれた才能を示し、政治家としては右大臣(死後に太政大臣の称号が贈られる)の地位に就かれた。教養があり立身出世をした人で、学問の神様、文化の神様とも仰がれている。
 道眞公は、藤原氏の画策により九州の大事府に左遷され、延喜三年(九〇三) に五十九歳でなくなり、御廟所(墓所)に建てられたのが現在の太宰府天満宮である。約四十年後に神霊を京都に祀ったのが北野天満宮である。
 天神様の縁日は毎月二十五日とされたのは、誕生と死去の日が二十五日にあたるためである。神紋の梅は道眞公が好み愛された花であり、牛の像は道眞公が丑年生まれで牛を大切にされたとの伝えによる。また清書奉納や筆塚に古い筆を納める風習があるのは、菅公が書道の神と崇められるためである。各地に鎮座する菅原神社も菅公を祀る神社である。
宗像神社・厳島神社
 宗像大神とたたえる田心姫命(多紀理毘売命).湍津姫命(多岐都比売命)、市杵嶋姫命(市寸嶋比売命)の三女神を祀る神社である。天照大御神の御子神であり、神勅により九州の宗像に天降られ、玄界灘に面する沖の島(沖津宮)・大島(中津宮)・田島(辺津宮)の三宮に祀られて宗像大社の起こりとなっている。各地に達し祀られ、普通は宗像神社と記すが、宗形神社・胸形神社と記す場合もある。
 国家鎮護・海上交通・道中安全・漁業守護の神として崇められ、特に別名を道主貴ともいうところから交通安全の信仰が盛んである。
 日本三景のひとつである周囲約三十一キロの安芸の宮島に鎮座する厳島神社を始め、各地の厳島神社の祭神も宗像大神である。宮島は神の島として信仰され、人の生活臭のない神聖な島であり、神をいつき祀る島の意味から厳島と呼ばれた。別名を伊都伎島神社・厳島大明神とも呼ばれる。宮島の厳島神社は推古天皇元年(五九三)に神勅を受け、社殿を造営したと伝えられる。平清盛が特に篤い信仰をよせて現在規模の社殿を完成させ、平家納経等今日に伝わる多くの宝物を寄進している。平氏滅亡後も源氏や朝廷、毛利氏などの崇敬を受け、宗像三女神は七福神の一つである弁天さまに例えられ、弁天社・弁才天社と呼ばれる場合もある。
 安芸の厳島、近江の竹生島(都久夫須麻神社)、大和の天の川(天河神社)、相模の江の島(江島神社)、陸前の金華山(黄金山神社)は、日本五弁天として有名である。
八坂神社・津島神社・氷川神社
 須佐之男命(素養鳴尊)を主祭神とする神社で、后神の奇稲田姫命や御子神を合わせ祀る場合もある。八坂神社(祇園社)は京都の八坂神社を本社として西日本に多く、津島神社は愛知県津島市の津島神社を本社として中部・東海地方に拡がっている。また氷川神社は埼玉県大宮市の氷川神社を本社として主に東京・埼玉に分布する。
 須佐之男命は天照大御神の弟神で、水田を乱す八岐大蛇を退治したことから、農耕の守護神としての性格を伺うことができる。
「スサ」には「荒」と「清浄」の二つの意味があり、荒々しい強い力で罪、けがれや災厄を払いのけ、清らかな正しい生活を守る神と云われる。京都の祇園祭は疫病退散のために始まったとされる。
 須佐之男命は一名を、祇園天神・午頭天王などと称され、祇園社・天王社の社名もある。また、各地にある須賀神社、須佐神社、素戔鳴神社、八雲神社等も同様である。
諏訪神社(すわじんじゃ)

 本社は長野県の諏訪湖の近くに鏡座する諏訪大社で、建御名方神と后神の八坂刀売神とを祀る。長野・新潟の両県を中心に、全国に五千社はど分布している。普通は「諏訪」と記すが、「諏方」「周方」「洲波」などの宇をあてる神社もある。
 「すわ」は「洲端」で、諏訪湖の浅洲の端の意味だとも云われ、諏訪湖の水を掌る神である。水は農耕や日常生活に欠かせなく、各地でその御神徳が仰がれている。また「建」は強い威力を表す言葉で、信濃源氏など武家の信仰をあつめた。信州の諏訪大社では六年毎に行われる御柱祭が有名である。

日吉神社(山王神社)
 日吉(日枝)神社は山王社とも呼ばれ、本社は近江の日吉大社(滋賀県大津市)で、大山咋神(東本宮)と、大己貴神(西本宮)とを合わせ祀る。
 『古事記』には、大山咋神は大年神の御子神で、またの御名を山末之大王神と云い、近江の日枝山と山城(京都)の松尾に坐すとある。大山咋神は日枝山(比叡山)の山の神、地主の神であり、京都の松尾大社にも大山咋神を祀る。
 日吉を「ひよし」と読むのは「ひえ」の転じたもので、山王の名称は延暦寺との関係が生じてからである。日吉(日枝)、松尾の両社に関わる神社は全国で約五千社ある。
熊野神社(くまのじんじゃ)
 「蟻の熊野詣」とも云われ、多くの人々の参詣があったのは、和歌山県の熊野三山(三社)である。熊野神社は全国で約三千社あり、ここを本社と仰いでいる。熊野三山とは東牟婁郡本宮町の熊野本宮大社(本宮)、新宮市の熊野速玉大社(新宮)、那智勝浦町の熊野那智大社(那智)の三社を総称したもので、各々の主祭神は家都御子神(素戔鳴尊)、熊野速玉男神(伊邪那岐命)、熊野夫須美神(伊邪那美命)である。紀州の熊野は出雲と縁故が深く、島根県八束郡には熊野大社があり、その祭神で加夫呂伎熊野大神櫛御気野命は素戔鳴尊とされる。熊野三社は御子神の五王子と御伴神の四社を加えて十二神となり、熊野系の神社に十二社神社という社もある。また第一の王子(若宮すなわち天照大御神)を祀る若一王子神社と称する神社もある。
白山神社(はくさんじんじゃ)
 白山神社は全国に約二千七百余の社があり、その本社は加賀の白山比畔神社(石川県鶴来町)とされ、菊理媛神、伊邪那岐神、伊邪那美神を祀る。白山は白い雪がおおう山の意で、その山から流れる水は水田をうるおす山の神、農耕の神であり、さらに日本海を通る船の航海の安全を祈る神でもある。 菊理媛神の「くくり」は物事を「括り結ぶ」意とされ、夫婦神の伊邪那岐、伊邪那美の二神の和解をとりもたれた調和の神としても信仰されている。
出雲の神さま(いずものかみさま)
 出雲の神様は大国主神であり、島根県の出雲大社が本社で、全国に約八百六十余社の分社がある。大国主神とは国土を治める偉大な神の意味で、別名を大己貴神と称し、「な」は「名」「地」の意味で、国土の開拓とその経営に早くされた功績を称えた御名である。この他にも葦原色許男神(強く勇猛な神)、八千矛神(武威のすぐれた神)、大物主神(物事を主宰する神)など多くの神名があり、御神徳の広大さを示している。
 大国主神の活躍は『古事記』や『日本書紀』に伝えられている。因幡の白兎を助けたやさしい神、多くの試練にくじけない強い神、病気や災害を除く方法を教えられる神、御子神の多い神としており、縁結びの神、福の神・大黒様として信仰されている。
 大己貴(大穴持・大名持)神社と呼ばれる神社も、大国主神を別名で祀る社である。
香取神社・鹿島神社・春日神社
 香取・鹿島と並べて呼ばれ、東国地方の名社として、共通の性格をもっている。香取神社は経津主神を祀り、千葉県佐原市の香取神宮を本社とする。 鹿島神社は茨城県鹿島町の鹿島神宮が本社で武甕槌神を祀る。経津主神は太刀で物をフツと斬る俸大な力をたたえた神名で、武甕槌神も猛く厳しい意味で、建布都神とも云われる。両神ともに剣の威力に関わり、日本の建国に功績をたてられた神と伝えられる。武道の神から有名な香取神道流、鹿島神道流が生まれた。
 春日神社は奈良市の春日大社が本社で三笠山の麓にあり、祭神は香取、鹿島の神に天児屋根命と比売神を合わせて祀る。藤原氏は氏神として篤い崇敬を捧げており、皇室や国家の守護神としても崇められている。祭神の性格から、強く正しい心と体や、平和な生活を教える神々として仰がれている。
住吉神社(すみよしじんじゃ)
 底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神を祀る神社で、大阪の住吉大社と下関・福岡・壱岐の住吉神社が有名で、この四社は神功皇后の三韓西征に由縁の深い神社である。住吉は古く「すみのえ」と読まれ、清の江・澄の江の意味とされ、海岸や河口の近くに祀られている。住吉の三神は伊邪那岐命が禊の際に出現された神々で、禊は海や川の清水で身をそそぐことから、水の神、海の神、航海や漁業の神へと信仰を発展させている。また和歌三神とも称されて、関係の人々の崇敬もあつめている。
金毘羅神社・大神神社
 本社は香川県琴平町の金刀比羅宮で大物主神を祀る。「こんぴら船々、追手に帆かけてシュラシユシユシユ」の民謡は全国津々浦々に流行し、順調な船の進みを唄っている。瀬戸内海は航海の要路であり、鎮座地の象頭山は海上から山容を仰ぎ、航海や漁業にたずさわる人々の信仰をあつめている。
 大物主神は大国主神の分霊を指した別名であり、「海を照らして寄り来たった幸いをもたらす神」と伝えられている。人々に光明と福徳を与える神と信じられている。尚、琴平神社と書く神社もあり、「金毘羅」はインド仏教語の 「クンビーラ」(海の神)に由来する。
 また大物主神を祀る神社は大和国の一宮の大神神社が有名である。大己貴神がこの国土を経営、功成るや自ら幸魂、奇魂を御諸山(三室山・三輪山)に斎き奉ったのが起りと云う。松尾や梅宮などと共に酒の神として崇められ、酒造家の尊信が篤い社である。
恵比寿さま・お酉さま
 恵比寿様を祭神とする神社には、島根県の美保神社、神戸市の長田神社、西宮市の西宮神社、大阪市の今宮戎神社などがあり、事代主神(大国主神の御子神)または蛭子神(伊邪那岐神と伊邪那美神の御子神)を祀る。
 「えびす」には「夷」「戎」の字があてられ、海の彼方から幸いをもたらす漁業の神である。やがて商工業繁栄の守護神ともなり、福の神としての性格も強まり、「恵比須」「恵美寿」と記すようになった。正月の十日えびすには多くの人のお参りがある。
 えびす様は関西が中心であり、関東では十一月の酉日のお酉さまが盛んで、「とり」は「取」に通じるとして熊手が授与され、商売繁盛を願う人で賑わう。お酉さまの本社は、大阪府堺市の大鳥神社(大鳥連祖神の天児屋根命と日本武尊を祀る)と埼玉県鷲宮町の鷲宮神社(天穂日命とその御子の武夷鳥命を祀る)であるが、東京では浅草の鷲神社(天日鷲命と日本武専を祀る)が有名である。
伊弉諾神社・多賀神社
 淡路島の伊弉諾神宮は伊弉諾神と伊弉冉神を祭神としている。この二神が天地初めて国生みにあたり、天浮橋に立ち天沼矛を海中深く指し下して、この矛の鋒から滴る泥から固まった島が淤能碁呂島で淡路島と云われる。これを国中の柱(天之御柱)として、二神は左右に分かれ巡って神々が生まれた。
 お多賀さんの信仰は、古事記に「伊邪那岐大神者坐淡海之多賀也」と記されており、滋賀県多賀町の多賀大社である。祭神は伊邪那岐命と伊邪那美命である。この男女二神は生命の祖神、延命長寿の神として仰がれている。「お伊勢へ参らば、お多賀へ参れ、お伊勢はお多賀の子でござる」との民謡があり、お伊勢(天照大御神)様は最高の神であるが、お多賀さまは御両親にあたる尊い神だと唄っている。
秋葉神社、愛宕神社
 両社は火の神として信仰され、静岡県春野町の秋葉山本宮秋葉神社と、京都市嵯峨愛宕町の愛宕神社が本社とされる。秋葉神社には火之迦具土神(別命、火産霊神)を祀る。
 愛宕神社は山上本宮に母神の伊邪耶美命と后神の埴山姫命、御子神の稚産霊命、穀物に関わる天熊人命、食物をつかさどる豊宇気毘売神の五神を祀り、若宮に雷神の迦具槌神を祀る。これらの祭神の火の神は鎮火、防火の神であるとともに穀物、食物を炊く火の神、焼畑耕作における農耕守護神としての性格も考えられる。
浅間神社
 霊峰富士山への信仰である。浅間神社は富士山が見える地域に分布し、代表的な神社には、富士宮市の富士山本宮浅間大社、静岡市の(静岡)浅間神社、富士吉田市の北口本宮富士浅間神社、山梨県一宮町の(甲斐)浅間神社等がある。祭神は木花開耶姫命で大山紙神の姫神であり、秀麗な富士山を桜の花の美しさにたとえた御名である。
 浅間は「あさま」とも読み、「あさくま」(浅隈)の意味で、湧水の起源をあらわす言葉と考えられる。富士の山麓から湧き出る清水の神秘さと恩恵、特に田をうるおす農耕への信仰の原点にあったと思われる。
 浅間神社は別名を富士神社、富士山神社などの社名でも呼ばれている。
三島神社・大山祀神社
 三島神社には二つの系統があり、ひとつは静岡県三島市の三嶋大社(祭神は事代主命・大山紙命)を本社とし、伊豆周辺や鎌倉を中心とする関東地方に多くある。もうひとつは、愛媛県大三島町の大山紙神社(祭神は大山積神)を本社とし、伊予地方を中心に分布している。伯耆の国の大山には、大山祇神社がある。
 事代主命は辞代主命とも書かれ、あらゆる事柄、あらゆる言辞を掌られる神をたたえた御名である。
 大山祇神は山の神であり、山から流れ出る水は田をうるおし、五穀を育てることから農耕の神でもある。また航海をする人々は山頂を目印とすることから海上交通の守護神とも崇られている。
加茂神社(賀茂社)
 賀茂神社は山城の国(京都)一宮の賀茂別雷神社(上賀茂)、賀茂御祖神社(下鴨)の二社である。上賀茂神社の祭神は賀茂別雷神であり、下鴨神社の祭神は賀茂建角身命、玉依媛命の二神である。両社の創建は神武天皇の御代であると伝えられており、鎮座の神山北に雲ケ畑があるように火苗神を祀り、降水の神、農耕神とされ、賀茂氏の祖先神である。また賀茂建身角命は神武東征の際、八咫烏に変身し、天皇を大和国に先導したことから国家鎮護の神とされ、全国の賀茂氏族荘園などに祀られている。
国魂の神さま
 国魂・国霊・国玉の表記があり、国土それ自体に霊魂の存在をみとめ、国土を神格化した御名である。各々の生活地域にはそれぞれの国魂の神があり、その土地の生成・開拓・発展・守護はその神の働きによるとの信仰がある。
 代表的な神社は、東京都府中市の大国魂神社、愛知県稲沢市の尾張大国霊神社、奈良県天理市の大和神社である。
大年神社(おおとしじんじゃ)
 『延書式』では大歳神とも記し、素戔鳴命と大山祇神の娘神で神大市比売の御子神。兄弟神の宇迦之御魂神、また、御子の御年神とともに穀物守護の神とされている。全国各地にこの神を祀る神社があり、渡来人の奉祭神、農耕に関わる神と云う特徴を持っている。
湊川神社(みなとがわじんじゃ)
 楠公さんと呼称され、楠木正成を主神とし、子正行及び湊川の戦に殉節した十六柱並びに菊池武吉を配祀する社である。
 正成は元弘元年、後醍醐天皇の勅を奉じて兵を挙げ、鎌倉幕府の大軍を破り、建武の中興をなしとげ大功があった。その後足利尊氏との戦に破れて七生報国を誓いながら一族と共に没した。明治天皇は創祀の御沙汰書を下され、明治五年に創建された。
靖国神社・護国神社
 東京九段の靖国神社は、明治維新の殉難者を始め諸事変、戦役において国事に生命をささげた人々の英霊二百四十余万柱(神)を祀る。明治二年に建てられた東京招魂社が前身で、同十二年に靖国神社と改称された。靖国は国を平安にし、平和な国をつくるという意味があり、身命を捧げられた人々を祀る神社である。
 北海道及び各府県には護国神社があり、その都道府県出身の護国の英霊を祀る。名称は昭和十四年から使われ、前身は各地の招魂社で、幕末から明治十年前後にかけて最も多く創建された。全国には五十三社の護国神社を数え、日本の国の為に尊い生命を捧げられた人々の御霊に感謝と故意の心で慰霊する人々が絶えない神社である。
神功皇后と神社(じんぐうこうごうとじんじゃ)
 皇后は息長帯比売命、息長足姫尊「紀」と記し、仲哀天皇の皇后である。気長宿禰王の娘で、母は葛城高ぬか(桑に頁)媛である 。
 仲哀天皇の二年に皇后となられた。九年に天皇が筑紫の訶志比宮(橿日宮)に崩ぜられるや、皇后、齋宮にこもり、神主となって神教を乞われたところ、天照大神、住吉三神等が託宣して、われらが天皇に新羅の国のことを教えたと示された。よって皇后は、これらの神を祀り、先ず態襲を打ち平定し、軍船をととのえ、新羅を征し、筑紫に凱旋せられ、この地で品陀和気命(応神天皇)を生み給うた。天皇幼児であったので、皇太后として政を摂せられた。
 九州よりの帰路、海路を大和の都へ向かわれた時、神戸の沖合にて御船が海中へ廻旋して進む事が出来ず、務古の水門に還り、これを卜なわれたところ、神教により稚日女尊を活田長峽国の生田神社に、事代主神を御心長田国の長田神社に、海神三神を海神社に、天照大神荒魂を御心広田国の廣田神社に、海神三押を大津渟中倉長峽の国の本住吉神社等、神功皇后の摂政元年の創始の神社が阪神、摂津の国にみられる。また、北九州地方を始め、瀬戸内海、大阪湾等の海に近い場所には皇后に関係する神社があり、現在から年代を逆のばると千八百年を迎えたことになる。
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