人生のおまつり(人生儀礼)
誕 生
 新しい命の誕生は神秘的で神聖なものである。神様は祖先、私達、そして子孫へと続く命の継承により子孫の繁栄と共に永遠に生きることを許されている。子孫の誕生は神様から賜った命と命を繋ぐことであり、神様に心から感謝し、悠久何千年と続いてきた民族の道を守り継承出来る人に育てることである。
 しかし、このことは、私達の永遠の課題であり、少なくともこの課題に近づくためには、祖先の足跡、遺産、文化、生活を学び尊ぶことから始める必要がある。祖先が生活の内でどのように神様と関わりを持ってきたかを学ぶために本稿が皆様にそのきっかけとなることと信じます。
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産 神(うぶがみ)
 うぶのかみとも呼び「産む」に通じていると云う。産神は子供の成長を見守ってくれる神様で、眠っている子供が琴っのは産神があやすのだと云われる。また、かつては男女とも坊主頭にすることがあったが、ぼんのくぼの髪の毛だけは残して剃った。子供が転んだり、池などに落ちた時に産神様がその毛を掴んで助けてくれると云われる。
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産屋・仮親(うぶや・かりおや)
 出産は祝いごとであると同時に死と隣り合わせの畏怖すべきものである。まだ魂が不安定な母子はもとより家族もつつしみながら見守られた。そのために母体が回復し、子供の生命が安定するまでは行動をつつしみ、生活の他所に移し「産屋」、「産小屋」を設け、平穏に育てられた。
 また、以前は健やかな成長を祈り、実の親だけではなく、取り上げ親、乳親、名付け親等様々な仮親を定めて力を借り、子供の魂の安定をはかった。そして多くの神仏にも祈ったことから初宮詣が始まったとも云われる。
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七夜の祝
 誕生七日日のお祝でこの日に始めて名をつける。命名書は三方にのせて床に飾る。(出生届は十四日以内に市区町村に届出る)
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初宮参り
 男子は生後三十日或は三十一日、女子は三十一日或は三十三日、或は百日目の百日参りをする所もある。この日に氏神様にお参りして氏子入りをする。神社に初穂料をお供えし、赤飯などを添えて無事なる成長を祈る。「あずき」は邪気を払う力があるとされる。
 祝着は母方の実家より贈られる慣例がある。
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食べ初め(お食い初め)
 生後百日目、食物に不自由しないように願いをこめて、赤飯に焼魚、吸い物等食べるまねをする。地域によっては、膳の上に紅白の餅を五つ添えたり、産神の魂が宿る小石を置く場合もある。(歯がための石とも云う)
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初誕生
 初誕生の祝いは、すずき、ばら等の出世魚と呼ばれる魚や赤飯等の膳を囲んで盛大に開かれる。また、「初誕生の前に歩き出すと、成人になってから家を出てしまう」と云って、この日に一升の誕生餅をつ.いて赤子に背負わせる地域もある。現在では丈夫に育つようにと願う儀式となり、この餅は力餅、たったり餅、立ち餅等と種々の呼び方がある。
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初節句
 生まれて初めての節句を初節句と云い、男子は五月五日の端午の節句(菖蒲の節句)。端午の端は始、午は五で初めの午の日の意味で、五月は午の月であるから五が重なることを最も喜ばしいこととされる。男子は菖蒲、綜を神様にお供えし、鯉職、甲胃、刀軍人形などを飾り、綜、柏餅を食べる。
 女子は三月三日の雛祭を祝う。三月三日は上巳と云い、もとは上の巳の日の意味、雛は小さいと云う意味で「ひひな」(雛)雛姫の略と云われる。雛祭りは雛遊とも云い、この日桃の花を白酒に浸して飲めば病を除き、顔色が良くなると云われる。
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菱 餅
 梶子の実で染めた紅の餅、白い餅、蓬を入れてついた草色の餅を重ねた三色の菱形の餅。雛あられも三色の餅を小さく切って煎り、砂糖をまぶしたものである。また、草餅も供える。もともとは母子草を主に使った餅であったが、蓬を入れた餅の中に小豆の飽を入れて作り祝う。
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節 句
 節句は節供の略で節日(節句の日のこと)に供える物から起った名である。人日、一月七日 (人日とは東方朔の古書に、正月は鶏を占い、二日は拘、三日は羊、四日は猪、五日は牛、六日は馬、七日は人を占う)、上巳三月三日、端午五月五日、七夕七月七日、重陽九月九日の五節句を節句と云う。人目には七種粥、上巳には草餅、白酒、端午に綜、柏餅、七夕に索餅(麦縄のことで、麦粉と米粉を練ってなわのようにねじり油で揚げたもので、そうめんはこれから出たと云われる)、重陽には栗飯を食べ、菊酒(酒盃に菊花を浮べて飲む)で祝う。
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七五三参り
 三才の男女、五才の男児、七才の女児が氏神様に参り成長の奉告(神様に告げたてまつること、報告、告げ知らせることとは異なる)し、将来の多幸を祈る。三才の髪置、五才の袴着、七才の紐解(着物の付紐を解き去ること、帯解)と子供の成長と共に成人への過程の儀式で、十一月十五日及び前後日のこの日に神社よりお守り、千歳飴等を授与される。神社へのお供えは初穂料と書き記す。
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十三参り
 十三才は十二支の一巡した年で、この年の三月十三日に(現在は四月十三日)嵯峨嵐山(京都)法輪寺虚空蔵菩薩に参り知恵を授かるという風習で、嵯峨には男女共に参るが、女児だけ参る虚空蔵書薩がある。また、神社へは厄年祓のため参る。
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安産祈願と岩田帯
 斎田帯の意で、岩田は堅固であることを祝して書き、語源のとおり忌清祝の意味もあり、氏神様に参り、お祓いを受ける。
 常に清浄を期することは日本人古来の風習であり、妊婦が五か月になると犬の臼に帯をしめるならわしがある。
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入学・卒業・就職祝
 この日には神棚に入学許可書、卒業証書、辞令などを供え、氏神様に参り奉告をして祝う。
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成人式
 古くは元服と称し、普通は十五才前後で行われた。今は満二十才を迎える年の一月第二月曜日を成人の日としている。
 古来この儀礼は、農耕の作業が終わる十一月から三月にかけて行われ、特に小正月に多い。若者入りを認められ、祭りの参加も認められる等、一人前として扱かわれる。
 現在は市区町村で成人式を行いますが、氏神様に詣でて成人を奉告することは、必ず永い人生に神様の加護を信じ、強く正しく生きる指針となる。
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結 納
 結納は結納金や酒、昆布、するめ等の品に目録、のし、末広を添えて贈る婚約の儀式である。
 結納品の関東では一つの台にのせたもの、関西では一台一品が基本で、水引飾りも立体的である。目録の品目にもおめでたいあて字を使う。
 目録-茂々録、のし、長契斗、末広、寿恵広、結納金-御帯料、小袖料、宝金、昆布-子生婦、するめ-寿留女、鰹節-勝男節、松魚節、酒-家内喜多留、角樽、柳樽、友白髪-友白賀、共志良賀、指輪-結美和、優美和、結美環等、地方によって、店によって違っている。
 結納に先立って但馬地方では「こぶし固め」と呼ぶ男性側が洒と肴を女性宅に持参する習慣でそれをその場で調理し、酒をくみかわすことが承諾のしるしとされた。
 摂津では「おさえ扇子」、播磨では 「おさえ末松」と呼ぶ儀式がある。
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結 婚
 我々は祖先から受けつぐことを許されて、わずかな確率から生を受けている。人は祖先、人生、子孫と続く三代の世界の中で生きているので、祖先を敬い、子孫の繁栄を願うことは私等を生かし、祖先を生かすことになる。即ち人生は個人だけのものと考えるのは思いあがりである。また、悠久の祖先から引きつぐことを許された私等の結婚は子孫に続くことを許されることであり、結婚式は神様の前で子孫に続く儀式である。
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結婚記念日
 神様の前等で、結婚を誓った日を記念日として祝う習慣がある。各記念日は、左記の通りである。
一年目-紙婚式
二年目-綿婚式・藁婚式
三年目-革婚式・菓婚式
四年目-書籍婚式・花婚式
五年目-木婚式
六年目-鉄婚式
七年目-銅婚式
八年目-青銅婚式・電気器具婚式
九年目-陶器婚式
十年目-錫婚式・アルミ婚式
十一年目-鋼鉄婚式
十二年目-絹婚式・肺婚式
十三年目-レース婚式
十四年目-象牙婚式
十五年目-水晶婚式
二十年目-磁器婚式
二五年目-銀婚式
三十年目-真珠婚式
三五年目-輩翠婚式・珊瑚婚式
四十年目-ルビー婚式
四五年目-サファイア婚式
五十年目-金婚式
五五年目-エメラルド婚式
七五年目-ダイヤモンド婚式
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厄 年
 厄年は災厄を受ける年、災難が多い年とするのは現在の考え方であるが、本来は、人は成長段階が一定年令になると、社会的に役割が変る人生の大切な節目で、この年は一生の時の機会でもあった(晴とはおもだったことを云い、公の意味をもつ)。不浄を避け、年祝を行うことをおこりとする考え方である。
 男女の七歳(七歳前は神の子とみなされた)、十三歳(十三参り)、六一歳(還暦)、七七歳(喜寿)、八八歳(米寿)等、人生の節目の年であり、役年とも云われ(七歳、十三歳は稚児等)、十五歳以上は神輿や神役を努める等、ある一定の年令の者は神聖なる役目を持っており、平素の慎みが必要とされる慣習がある。
 厄年は男二十五、四十二、六十一、女十九、十三、三十七でその前後を前厄後厄と云う。中でも男四十二、女三十三を大厄とする。この年には神社の厄除祭にお参りして厄祓いを受ける。
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歳 祝(賀寿・算賀)
 六十一才の還暦、(六十干支を一周して初めにかえること)
 七十才の古稀(杜甫の詩句 「人生七十古来稀なり」から出ている)
 七十七才を喜寿(書の草書、轟が七十七に読めるために云う)
 八十才を傘寿(傘の字の略字、今より、読めるために云う)
 八十八才を米寿(米の字を分解すると八十八になるために云う)
 九十才を卒寿(卒の字の略字、卒より読めるために云う)
 九十九才を白寿(自は百から上の一を引いた数字九十九を云う)
 百才を百寿(上寿)の祝と云う。
 人生五十年といわれた時代には、四十才以上を十年ごとに祝った。また、六十才を過ぎると隠居をする例も多く、還暦が長寿の祝の始まりとされた。
 この長寿の祝は、家族、内輪のお祝い会を開くとともに氏神様にも奉告をする。
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叙勅・受賞
 天皇様より皇居内で授与される。叙勲とは国家の栄典として与えられる勲章、褒章等。また、学問や芸術等の才能や業績に対して贈られる恩賜賞等を受けることを受賞と云う。
 勲章には菊花章(勲一等の上、最高の勲章)旭日章、宝記章、瑞宝章(勲一等より八等まで)受賞には、文化勲章、褒章、紅綬褒章、緑綬褒章、藍綬褒章、黄綬褒章、紺綬褒章、紫綬褒章がある。
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年の数え方
 年令にはかぞえ年と、満年令がある。かぞえ年は生れ年を一年とかぞえる方法、満年令は実年数を云う方法である。七五三詣、十三参り、厄年等はかぞえ年でかぞえる慣習が多い。
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病気治しと神様
 病気になったり病気が治ったりする理由を説明するのは、今日では近代医学の役割である。しかし、人間は必ずしも医学的説明だけでは納得しないことがある。原因不明の病気、悪性の病気に直面すると、宗教的説明がもっとも適切な回答になることがある。神道系新宗教が近代において急速に信者を獲得したのも、人はなぜ病気になるのか、またどうすれば治るかについての宗教的説明をたずさえていたのが一因と考えられている。「病気は神が何かを人間に気づかせようとしている」といった類の説明である。
 病気と神との関わりは新宗教に限らない。『日本書紀』の一書には、大己貴命が少彦名命と力をあわせ心を一にして、天下をつくり、人間や家畜のために、病気を治す方法と、災いをはらうための禁厭の方法を定めたとある。これによるなら病気治しもまじないも、神代の時代から存在していたことになる。
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