タカノジンジャ |
神社コード |
鷹野神社 |
6322106/本務 |
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所在地 |
669-6201
豊岡市竹野町竹野84-1 |
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電話番号 |
0796-47-0210(鷹野神社) |
HP |
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通称名 |
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例祭日 |
4月25日 |
例祭の
通称 |
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交通公共 |
JR山陰本線「竹野駅」より北東へ1300m |
交通・車 |
国道178号線「森本交差点」を竹野方面へ約10km |
駐車場 |
なし |
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主祭神 |
武甕槌命 タケミカヅチノミコト |
配祀神 |
天穂日命 天満大自在天神 須佐之男命 建御雷命 伊波比主命 五男三女神
【アメノホヒノミコト テンマンダイジザイテンジン スサノオノミコト タケミカツチノミコト イワイヌシノミコト ゴナンサンジョシン 】 |
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祭記事 |
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由 緒 |
創立年不詳。
古事記によると第4代懿徳天皇の第二皇子当芸志比古命は多遅麻の竹別の祖と記され、多遅麻之竹別については和名類聚抄には「但馬国美含郡竹野郷がある」と書かれる。和名抄は延長年中に源順が醍醐天皇の第四皇女勤子内親王の命を奉じて撰述した古書であり、竹野別はたかの別とよんだのであり但馬国には竹という地名はその他の文書に見えないから現在の竹野浜部落で、その氏族が居住していたための地名であると考えることができる。
同じく醍醐天皇の延長5年(927)に「延喜式」神名帳が撰修せられ、その巻10に「但馬国一三一座、美含郡一二座鷹野神社」とあるから、延喜の制に小社に列せられた式内官社である。
万治3年(1660)、社殿より失火し、社記、古記録を焼失するが、寛延2年(1749)刊行の大枝流芳の「貝尽浦の錦」には竹野浜を紀伊の和歌の浦、河内の住吉浦と共に日本浜三景の一つに数えられ、但馬竹野浦真図をのせて、その図に「加島」「誕生」と共に竹野浜に「天神社」の壮大な社殿をえがいている。
江戸時代出石藩の崇敬篤く、藩主度々参拝し随神門、鳥居が奉献。
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