セツカイジンジャ |
神社コード |
石海神社 |
6318074/本務 |
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所在地 |
671-1555
揖保郡太子町宮本168 |
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電話番号 |
079-276-0833(石海神社) |
HP |
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通称名 |
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例祭日 |
10月18日・19日 |
例祭の
通称 |
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交通公共 |
JR山陽本線「網干駅」より西へ3km、徒歩約35分 |
交通・車 |
国道2号線「鵤西(いかるがにし)交差点」を南西に2km、約5分 |
駐車場 |
あり(台) |
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祭記事 |
◆10月18日(宵宮)
御神輿の御旅所への渡御あり。道中氏子の皆様による高張提灯の行列がある。
◆10月19日(昼宮)
出店や獅子舞が奉納されたりすることがある。今は、演芸大会などを催すことが多い。 |
由 緒 |
創立年月不詳。
天保9年(1838)本殿を再建し、明治7年(1874)2月郷社に列し、同32年(1899)本殿を改築する。
石海の宝は「播磨風土記」の地名説話を主とする。孝徳天皇(650年)頃、石海(石見)の里は肥沃な土地でたくさんの稲穂が育成した。そこで、野の持ち主である阿曇(あづみ)の連百足(むらじももたり)はそれを天皇に献上した。「そんなにいい稲が育つ野であるなら、もっと開墾するがよかろう。」とおっしゃったので、天皇の命を受けた阿曇の連太牟(むらじたむ)は石見(いわみ・島根県)の人を招いて大いに開墾した。
以後、野を百便野といい、里を石海と言うようになった。
豊かな里の石海神社の御祭神は、日本最古の学者で日本書紀(720年)頃、養老4年の編纂の舎人親王(崇導尽敬皇帝・すどうじんけいこうてい)追謐(ついひつ)と、そのお后の2柱が御祭神です。 |
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