カブトハチマンジンジャ |
神社コード |
甲八幡神社 |
6316231/本務 |
|
|
所在地 |
679-2123
姫路市豊富町豊富1375 |
|
docomoはこちら。 auはこちら。 |
電話番号 |
079-264-4747(甲八幡神社) |
HP |
|
通称名 |
|
例祭日 |
10月体育の日の前日 |
例祭の
通称 |
|
交通公共 |
姫路駅より神姫バス「江鮒団地バス停」下車徒歩10分 |
交通・車 |
播但連絡道「豊富料金所」より北へ2km |
駐車場 |
あり(台) |
|
主祭神 |
品太別命 ホンダワケノミコト |
配祀神 |
息長足比女命 比淘蜷_
【オキナガタラシヒメノミコト ヒメオオカミ 】 |
|
祭記事 |
秋の例祭には神輿渡御のあと、15地区の祭り屋台が山上の神社に宮入りする。宮入後梯子獅子舞が奉納される。仁色地区の「長持ち道中」という特色ある行事も見られる。 |
由 緒 |
伝承では応神天皇が播磨巡行のとき甲山にお登りになられ、四方をご覧になり、里人たちの生活の様子を愍み、河や溝を掘り新たに道路を造って農業を奨励された。里人たちはその徳に感謝し、以降毎秋甲山上に集まり初穂を供え都の方に向かって遙拝の式を行った。その後、貞観元年(859)神殿を造営し八幡神社と尊び崇めたと伝えている。平安時代末期の後白河院政の時代に北は船津町、福崎町、八千種から南は砥堀にかけての地域に蔭山荘という荘園を成立したと推定されており、当社はこの蔭山荘の総氏宮の位置にあったと考えられる。関ヶ原の戦いの後、姫路に入封した池田輝政は当社に社領を寄進したといわれ、幕末まで社領が継承された。歴代の姫路城主からも崇敬を受け、例祭には城主から幣帛を供えて祈願があった。
社殿は明治27年(1894)に焼失したが、同34年(1901)に再建されたもの。正面の大鳥居は平成2年(1990)御大典記念に再建された。 |
|
Copyright (C) 2008 兵庫県神社庁
All Right Reserved, 記事・写真の無断転載を禁じます。 |
|