イクヤジンジャ |
神社コード |
生矢神社 |
6316047/兼務 |
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所在地 |
670-0972
姫路市手柄91 |
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電話番号 |
079-297-6537(荒川神社) |
HP |
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通称名 |
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例祭日 |
10月第2日曜日 |
例祭の
通称 |
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交通公共 |
山陽電鉄「手柄駅」より西へ徒歩10分 |
交通・車 |
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駐車場 |
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主祭神 |
大国主神 オオクニヌシノカミ |
配祀神 |
須世理姫命
【スセリヒメノミコト 】 |
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祭記事 |
昭和63年(1988)若宮社、平成3年(1991)荒魂社、稲神社を新築す。 |
由 緒 |
『播磨鑑』によると当社は行箭社として神功皇后元年9月三韓征伐の御首途播磨の湊に御船を掛けられた時、麻生山より事始の箭を射させた。それが落ちた所に立ち、社となったことから、欺号名が付いた。後白河天皇の御宇保元3年(1158)、「播磨守平清盛の崇敬祭祀している守護の明神大巳貴命の神霊」とあり、清盛は厳島神社造営時、しばしばこの地を往来して、たまたま悪夢を感じて神勅渾心に徹し、この神を三和山に崇祀し、生屋大明神の御号を奉りて子孫繁栄を祈った。
その後、清盛16世紀の孫、関三朗兵衛永重が飯田に住み、我祖の宮として寛永19年(1642)に営殿修復し、領主松平下総主清匡も深く尊崇し、正保3年(1646)、神領田2石4斗2升を寄進した。以後、寛文9年(1669)、家老白井頼母社殿を修造、元禄6年(1693)に本殿、幣殿を再建した。その後太平洋戦ののち、昭和40年(1965)に現地への遷宮の工事を起工、昭和44年(1969)本殿神楽殿の修復、幣殿を新築し、昭和61年(1986)社務所を新築、平成14年(2002)参道敷石を改修し、平成15年(2003)境内地の改修工事。 |
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