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所在地 |
651-2105
神戸市西区伊川谷町上脇1005 |
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電話番号 |
078-974-9677(惣社社務所) |
HP |
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通称名 |
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例祭日 |
10月9日 |
例祭の
通称 |
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交通公共 |
明石より太山寺線バス14系統「新末田橋バス停」又は「宮の前バス停」下車北へ徒歩8分 |
交通・車 |
大蔵谷インターより北西へ車で5分 |
駐車場 |
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主祭神 |
大己貴尊 オオアナムチノミコト |
配祀神 |
経津主尊 武甕槌神 素盞嗚尊
【フツヌシノミコト タケミカツチノカミ スサノオノミコト 】 |
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祭記事 |
春祭りは一石四斗の餅撒き、秋祭りには、各地区からくり出す櫓太鼓四基、獅子三基、神輿等々、また、奉納相撲などもあり、クライマックスの神事祭は圧巻である。 |
由 緒 |
神功皇后が、朝鮮遠征の帰途、明石川から伊川を船でのぼり、ここで一休みして、「大国主命をここに祀れ」と命じたのが、この惣社の創始であると伝えられている。創立年代は詳らかでないが、後三条天皇の延久3年(1071)9月再建し、太山寺密教院の定喜法師の勧請と伝える。ここでいう勧請とは、再建の時のことをいうのであろうと思われる。
また、『延喜式』の物部神社、『国内鎮守大小明神社記』所載の明石郡九座の一つ惣部明神を、当社にあてている。5世紀後半には大和王朝が確立し、明石の囲も国造によって治められる事になり、6世紀には、大和王朝の物部系の郡司により、郡中の神社の神々を集めて祀ったことから、13世紀の鎌倉時代以降は惣社といわれるようになった。
また、江戸時代、明石城主の崇敬篤く、三石の黒印領を寄せている。神社背後の鬼神山には数基の古墳がみられ、調査の結果、鏡や土器の形式から四世紀のものと推定され、早くから文化の進んだ地域であったことがわかる。
現在の本殿は、宝暦11年(1761)に、旧社殿の古材を用いて造営されたものである。 |
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